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高浜原発再稼働を認める大阪高裁決定 [脱原発 脱被曝]

16012903.jpg               ↑高浜原発4号機

 2017年3日28日午後3時。大阪高裁前は「差し止め却下」決定に一瞬支援者も報道陣も静まり返ったかのように感じました。しばらくして400ページにも及ぶという抗告審決定の内容について井戸弁護団長が「3・11以前の判断から一歩も前に出ていない。事故を全く顧みることなく、しかも避難計画を原発規制の対象にしないのは違法とまでは言えないと言及している。司法に対する信頼の絶好のチャンスを逃したのは極めて残念だ」と述べました。

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↑大阪高裁の抗告審決定の報告をする原告団

  昨年(16年)3月の大津地裁が決定した「高浜原発3・4号機の運転差し止め」を大阪高裁が覆した瞬間でした。大津地裁は「随所に債務者(関電)が事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには、福島原発事故の原因究明を徹底的に行うことが不可欠であると断じていました。しかも「この点に意を払わないならば、そしてこのような姿勢が関電と規制委員会の姿勢であるとするならば、そもそも規制委員会基準策定に向かう姿勢に非常な不安を覚えるもの」とまで言い切った決定でした。 今回の決定について詳細を検討した井戸弁護団長は自身のフェイスブックで 「昨日は、大阪高裁に沢山の方々にお集まりいただきありがとうございました。残念な結果ですが、次に向かって進んでいくしかありません。今日は、膨大な大阪高裁決定を読み込みました。その特徴としては、

3.11前に戻った立証責任論。

関西電力が立証すべきことは、高浜原発が新規制基準に適合していることだけで、新規制基準の不合理性の立証は住民に負わせています。福岡高裁宮崎支部決定(川内原発)も、福井地裁異議審決定(高浜原発)も、新規制基準の合理性の立証を電力会社側に負わせていました。大阪高裁決定と同様の考え方は、3.11前の静岡地裁判決(浜岡)、名古屋高裁金沢支部判決(志賀2号機)まで遡る必要があります。これは、伊方最高裁判決の趣旨も捻じ曲げるものです。この立証責任論は、例えば、「新規制基準が策定し、抗告人(関西電力)が実施するテロリズム対策が不合理なものであるとはいえない。」という文章に現れています(もし、立証責任を関西電力に負わせるのなら、「テロ対策が合理的である」と言えなければ、関西電力を負かさなければなりません。)、

 ②福島原発事故被害についての無関心(事故の原因論は述べていますが、被害については、1行も述べていません)。

 ③新規制基準についての絶大な信頼(適合していれば安全)、

 ④住民側の主張の矮小化(切り刻んで、一つ一つ片づけていく、一部は無視)等が指摘できます。残念な結果ですが、次に向かって進んでいくしかありません。原発問題は、私たちの世代でケリをつけなければならない問題ですから。明日の、広島地裁決定に期待しましょう。と書いています。

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↑抗告審の決定を受けるため大阪高裁に入るげんこう・弁護団

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京都工繊大学の名誉教授で退官後も一貫して脱原発運動に取り組んできた木原壮林さんも3月31日のキンカン京都(関電京都支店前路上スタンディング抗議)に姿を見せて高裁決定についてのコメントを配られたのでそのチラシから木原さんの言葉を引用しまします。(右写真はびわ湖デモで訴える木原さん)

 福島事故への反省と新規制基準

 福島で溶け落ちた原子炉はその様子が6年後の今でもわかっていません。しかも事故が大惨事になった真の原因が究明されたとはいい難く地震の発生時期や規模を予測することも不可能なのが科学技術の現状です。なので新規制基準は最新の科学的・技術的知見でも原発の安全運転を保障するものではありません。 

 高裁は、原発に「絶対的安全性」を期待しなくても良いと述べています。しかし、原発事故は万が一にも重大事故を起こしてはなりません。したがって「絶対安全性」が求められます。これが福島の事故に対する結論でしょう。現代科学技術の水準、人為ミス、人の事故対応能力の限界などを考え合わせると、そのような安全性を確保することは不可能なので原発を運転してはならないというべきでしょう。

 基準値震動について

 高裁は新規制基準値に適合している、また震動の策定には合理性検証されている関係式が用いられているので過少とはいえない」としました。関電はこの点について「平均像」で良いと主張して認められたことになります。しかし、地下深く起こる地震は断層面を観察することは困難なのです。また地震の形態は多様なので規模を論理的に推定することは難しいのです。震動は例えば500ガル地震が4回、1500ガルが1回起これば平均値は700ガルとなります。しかし平均からずれた地震はいくらでもあります。住民側が「実際の観測記録は大きくばらついているので、少なくとも最大値をとるべき」と主張してきました。地裁は平均像を主張した関電を退けましたが高裁は覆したことになります。断層は地震が起こって初めて解るもので「未知の深層活断層」と呼ばれてその様子は全く分かっていないので、このような深層活断層を考慮した計算は不可能と言わざるを得ません。

 電力会社の立証責任について

 地裁が「福島事故後にどう安全を強化したのか」を立証するように厳しく求めましたが関電は「新規制基準に合格したから安全」と主張し高裁はこれを認めました。さらに住民が規制委員会の審査と判断が合理性を欠くなら住民がそれを実証せよと述べています。 これは「立証能力が無ければ泣き寝入りしろ」と言っているに等しいのです。裁判制度を根底から揺るがす要求となりました。

最高裁は伊方原発裁判(1992年)で「政府や電力会社が稼働を進めるにあたって、依拠した具体的審査基準、調査審議及び判断の過程等のすべてを示し、判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づいて主張・立証する必要がある」としていました。「それらを尽くさない場合にはその判断に不合理な点があることを事実上認められたとすべきである」とも述べているのです。

新規制基準は事故原因、事故後の炉の内部、汚染水と土壌対策の不十分さに加えて使用済み核燃料の処理方法もなく、地震発生時期や規模の予測も不可能な状況下で作成されたことからして「適合していて安全」というのなら最高裁判決に従って国・関電は安全を立証する責任を果たすべきなのです。

ちなみに規制委員長は「科学技術的に安全を保障したものではない」と自ら述べているのですから住民が差し止めを求めるものなのです。

 原子力災害の避難について

「多重防護の考えに基づいて1層~4層までの安全対策は講じられているので炉心損傷の防止の確実性は高度になっている」と高裁は言います。しかし5層(避難計画など)は「重大事故は起こりえない原発で、放射能が異常放出される事態をあえて想定して講じられる対策であるので新基準が避難計画などの原子力災害対策を規制対象にしないのは妥当」と論じました。

これは大阪高裁が新たな「安全神話」を作ったと言えます。不可能に近い被曝なしでの避難、長期の避難生活の悲惨について議論をするのを避けたことになります。避難の議論をすると原発の運転ができないことを実証してしまうからです。しかも改善の余地はあるものの取り組みなどは不合理が認められないとまで言い切りました。しかし現実は大きな訓練は不可能に近く、訓練を実施した中で天候などで実際には中止に追い込まれました。避難できないのは明らかになっています。それでも高裁は適切であるとしているのです。

まさに福島はこの5層事態が発生した。そのことを事業者はやらなくていいと言ってる(規制委がそこまで求めていない)。解り易く言えば事故が起これば福島のような事態はもう止められない。「想定外」で誰も責任をとらなくていいと言ってるようなもの。

各地で続く差し止め訴訟はこの事態が7年前に起こったから稼働するなと住民は言っているのです。高裁は新規制基準の通りに審査を受けたので稼働は認めるという結論だけど、それを作った委員会の責任者が「安全は保障しない」という矛盾に国民が納得するはずがありません。 

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↑大阪高裁の決定を受けて抗議の声をあげる支援の皆さん 


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