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SEALDs関西の学生が自分の言葉で安保法案反対の街宣 [安保法案]

8月14日のお盆の休暇中にもかかわらず京都駅前に1000人の聴衆が学生の言葉に聞き入りました。一人一人が話す言葉は自分の体験などをもとにしたものでした。SEALDs関西が毎週金曜日に開催している法案反対の行動。学生8人が宣伝カーから訴えました。

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↑聞き入る聴衆から拍手も多く

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関西学院大2回生の鈴木さんは「日本の中と外で起こしてしまった惨劇を思い戦争へと向かっていったあの時のことを学びました。今私たちはどう生きるべきなのでしょうか」と話し始めました。「何を知り、何を考え 何を切り取ってもこの法制に反対です。法案で私たちの命はむしろ危険にさらされると思うからです。政府の法案をすすめる過程にも危機感を感じます」。

「そして 8月11日には川内原発が再稼働されました。原子力は人間がコントロールできる代物ではありません。福島の事故に何を見たのでしょうか。人々の人生ってなんだったんでしょうか。4年も停止していた原発を再稼働させたのは世界で14基、そのいずれもがトラブルに見舞われています。福島にどうして学ばないのでしょうか。何を思って安倍さんは原発が安全などと言いはるのでしょうか。私には全く理解できません。」

「国の重要案件を同時期に推し進める。自由を多く縛る法案を大きなくくりにして国民が気がつかないようにして紛れ込ませる。この国の政治は命ある者をすべてなめています。バカにしています。」

以下動画をご覧ください

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 ついで民主党の参議院議員蓮舫さんと福山さん、共産党の井上さんもスピーチ。それぞれに「ポツダム宣言を受諾した日300万人の命と暮らしが奪われた。平和を絶対守って次の世代につなぐことが大事だ」(蓮舫)。「安保法案は武力行使をどこにでも行ってやるということだ。内閣の解釈で歯止めが利かなくなる」(福山)。「先日同僚が統幕官僚の国会無視の法案先取り工程を大臣命令でやっていると暴露した。暴走は停まらなくなる」(井上)。

 

そして、安保法制に反対する学者の会の呼びかけ人である君島立命館大教授が「シールズとはなんだろうか」「彼らは果たして利己主義なのか」「積極平和主義とは何だろう」「憲法9条とは」の4つについて説明しました。シールズは自分の頭と言葉で行動しているのが素晴らしい。年配者も勇気をもらい励まされた。海外で働くNGOによる平和の構築。これこそが積極的平和主義であって軍事的な貢献をすることで はない。NGOの会議の宣言文では必ず日本国憲法9条が引用されるのです。

教授のスピーチ動画はこちら 

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↑教授の話を聞く集まったみなさん
 
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また日本人第1号宇宙飛行士で福島原発難民の秋山造形大教授もあいさつしました。「川内原発の抗議集会の場所を県が貸さないという電話がありました。集会・表現の自由を妨害している。それで海岸に2000人が集まり「声を上げる、集まる、手をつなぐ」これこそが憲法が生きるということです。おかしいじゃないか。だったら声を上げよういろんなところで、いろんな人が。国会議員は普通の人が声を上げることをおびえているんです。つぶやきを声に、声を行動にしていきましょう。」

 

SEALDs関西の街宣ダイジェスト動画はこちら 

ママの会@京都も街宣で多くの市民・議員が訴える

 
この日は四条河原町のマルイ前でもママの会@京都の皆さんも法案反対の街宣活動を行い約100人の人が立ち止まって聞き入りました。同じように民主・共産の議員もスピーチをしており京都では珍しい共闘となりました。市民の活動が結実させたともいえます。
 
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 マルイ前は聞き入る人だかりとママの会のチラシまきや報道陣が集まったこともあって通常の歩道が封鎖状態になりました。これは近頃珍しい混雑ぶりで、いかに立ち上げて1か月ぐらいの会が注目され、そして安保法案のいい加減さに多くの市民が関心を持ち始めているか ということになるのでしょう。原発事故以降何回もこの場所でのいろんな街宣活動の取材を通してもなかったと言えます。
 
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川内原発再稼働緊急抗議・反対リレートーク [脱原発 脱被曝]

8月11日午後6時、京都市下京区の四条河原町マルイ前に「川内原発再稼働 民意を無視する安倍 どっちもやめろ」「絶対あかん!高浜 川内 原発再稼働」「原発は必ず止められる」の横断幕が並びました。キンカン(関電京都支店前の毎週金曜日抗議)に参加しているメンバーが呼びかけてのリレートーク。

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昨日(8/10)の午後フェイスブックで呼びかけてたところ約50人の市民が駆けつけた。 市民一人一人がマイクをにぎり10人ほどが1時間で自分の言葉で再稼働反対と再稼働を許さない声を上げ続けると話しました。

福島原発事故後の放射能の防護服スタイルでキンカンやデモで脱原発を訴えてきた寺野さんは「何年間も動かしていなかった機械を動かす。これだけでも大変危険なんです。動かすのは人間です。ろんなミスが必ずや出るに違いありません。この川内の動きを他の原発の再稼働の呼び水にしては絶対いけません」

脱原発京都差し止め訴訟団の吉田さんは 「原発事故の災害は非常に大きく福島ではいまだ14万人が避難しています。オリンピックまでに原発事故を終息した形にしたい政府は帰還政策さえ行っています。原発の避難計画は30キロ圏の住む人を無視するようなずさんさです。原発なしで電気が足りてて会社ももうけが出ている所もある中での再稼働に引き続き市民の力を集めていきましょう」

 京都で脱原発の「コドモデモ」を主催する西郷さんは「ここにいる私の息子は大飯原発が停まる14日前に生まれました。2歳になりますが人生のほとんどを原発の電気なしで暮らしてきました。こういう子育てができたことを誇りに思っています。福島やさらには広島・長崎の経験さえ踏みにじるような安倍政権を許しません。皆さん声をあげてください。原発は必ず停められます」

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このほかキンカンの世話人ともいえる藤井さん、福島事故後毎月11日に 関電に申し入れを行うメンバーの一人吉永さん、行動する脱原発の80歳の村上さん、そして秘密保護法をロックせよとデモを続ける松本さんなどが次々に訴えました。最後に広島での被爆体験を語り継ぐ米澤さんもその経験を踏まえて核の怖さを説きました。

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この日はトークする皆さんの反対側で静かに話を聞く人が多くいました。約1時間そこを動かずにいました。確実に原発を止めるための広がりができていると感じた一幕でした。↓

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鴨川上流本流域を歩く。倒木多く水量減り [ここを考える]

鴨川は観光や市民の憩いの場所としての側面から一歩上流を丁寧にスケッチしていくと多くの問題が浮かび上がることがわかりました。京に都ができて白川天皇は「鴨川の水、双六の賽の目、山法師」を自らの思うようにならないと話したと伝わります。その鴨川の水に異変が起きつつあります。

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↑鴨川上流の中津川の清流。川には倒木が散見された。

鴨の源流の一滴が落ちるとされる雲が畑の岩屋志明院。その水がやがて祖父谷川と合流して打越峠への道の手前の白梅橋あたりで 「鴨川」の起点となる。しかしその源流も源流の山は手入れがされずなんと倒木の多いことだろう。岩屋志明院の住職田中真澄さんは「昔は1メートルの積雪でも倒れなかった。気候温暖化によるのだろうが雪質が重く水分を多く含むようになり15センチで倒れるようになってきた」と話しました。

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↑倒木に覆われるかのごとしの鴨川源流域

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↑鴨川の起点とされる白梅橋と本流

この雲が畑一帯は林業も盛んであったし現に地域には地元の組合でつくる「雲が畑林業総合センター」という施設もある。そして何よりも森林から流れ出す水は命を育む聖域みたいなものだろう。実際「汚す」などということはこれっぽちもないというのが何よりも集落を俯瞰すればわかる。そう山の中に集落はあり水と樹木は何よりの宝なのだ。 ↓

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その地域の人たちが山が荒れていくことを見守るしかない現状だ。そして流域に散見する廃棄物置き場とみられる場所。なんといっても上賀茂神社からでさえ車で30分も走ればこの源流本流へと入れる近さ。都会の廃棄物がここにやってきたのは昭和60年代とされる。この間廃棄物と河川管理の二重行政(京都市と府)が雲が畑住民の要望を実行する障害になってきたのだろう。そのことは2002年12月の京都弁護士会による意見書に詳しい。

 雲が畑産業廃棄物処理施設問題に関する意見書

さて雲が畑から市内に向かうとその廃棄遺物処理場の下流での水遊びグループを数多く目にした。2013年の 台風の影響で産廃場から数多くが流出して市原の十三石橋あたりを中心に多くの浮遊物や重機を入れないと移動できないコンクリ片やタイヤなどが目視できた。そこで2014年春ボランティアがゴミひろい、府が公費で重機投入した。

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↑2013年9月台風」での柊野ダム上流の様子

その鴨川も先の田中住職によると下流から上流への逆転土砂堆積が 起こり始めたという。今あるダムによりせき止められた土砂が今度は上流へと向かいだした。そこで上流域も水害や産廃場の土砂を押し流すことが増えているのだと。1990年に京都府は市内の洪水防止をダム建設でという案を撤回しました。田中さんをはじめの反対運動があったことを覚えています。

その時田中さんは「ダム建設に何百億万円もの巨額の費用を投じるくらいなら、その半分の額でも森林の保全と育成にもっと英知を傾けるべきです。森林従事者が森を育てることに意欲と希望持てるように行政が目を向けるべきです。」と話していました。

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↑保水力が低下したのか山が崩れているところがを散見した

果たしてダム建設中止によって森林保全の方向性はどうなっていったのか今後の課題としてしたい。産廃場下流で水遊びする家族つれ↓。そうこの夏場は水は少ないのが際立つ。しかしひとたび雨が降れば上流さえもという近年の川の変化がある。

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スマホで撮る・猛暑の中の鴨川上流を行く(1)上賀茂~鴨川別れ~市原 [京の四季]

8月も連日35度越えが続いています。鴨川の水量もぐ~んと減って水辺でも暑いですね。そんな中の8月5日に上賀茂あたりから鴨川の上流を旅しました。上賀茂に柊野ダムというのがあります。流れの速さや砂を食い止めるためのもので見た目
に涼風を感じさせます。
 
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この2段になった人口の堰は下流への水量調節にもなっていますが上段堰の向こう側はというと人口湖よろしく広々した空間が広がっていて知られざる天然水泳場となっています。上賀茂神社から車で5分もかかりません。 しかも山が近いのでその緑さえも涼しげです。この日も女性グループが水着で早速水につかろうとする光景に出合いました。
 
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ただしこの石の水辺は台風や梅雨の時には市内で見る川幅の数倍の水となってまるで大きな池の様相となります。そして2段の堰は高さが同じに見えるくらいまでとなって下流へと向かいます。水際の樹木も押し倒され自然の怖さを実感させます。 
 
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このダムからさらに車で5分で鴨川の源流域に入ります。道が2たつになり左へ行けば雲が畑方面で鴨川の本流域、右に行くと貴船川や鞍馬川といった支流域へと入ることになります。夏場の涼を求めて観光客が訪れるのはその貴船方面ということになります。この分かれる場所に立つと鴨川というのがいかに短い急流であることを示すがごとくすでに峡谷の風情を醸し出しています。三条大橋から距離にして約8.8キロしかありません。
 
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さて右に折れて支流へと向かいます。途中峠を一つ越えますが峠のてっぺんに突然巨大な煙突が見えてきます。建設当時この鴨川の源流が汚染されるとして反対運動が起こった清掃工場です。なるほど豊かな緑の中にぽっんというにはあまりにも大きすぎる建物なだけに界隈の里の風景とはかけ離れているように見えます。
 
工場の峠を越えるとやがて市原の里を見ながら「貴船・鞍馬方面は信号を直進」という立看板が飛び込んできました。先日通った時には貴船は左折だったはずだがと?。当方は左折していつもの道を走るのですが二ノ瀬という集落あたりは京都バスが通っていて履行できないところが数か所。なのでバス誘導員が集落の出入り口に立たないといけない狭い道でした。今日も誘導員はいましたが対向車が一向に来ません。貴船口に入ると新しいトンネルができていて集落は通らなくて済むことになったようです。 (続く)
 

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連日の戦争法案反対の集会とデモ [安保法案]

8月4日に京都市役所前で「戦争立法NO!京都アクション」が主催しての集会とデモがありました。これで7月29日の「つぶそう戦争法案・怒りのデモ」(350人規模)、8月2日の「サウンドデモ」(400人規模)と4日の「声を上げよう安倍政治は許さない」(規模600人・当ニュース推測)と立て続けに市役所前からの意思表示が続いています。

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↑ 左から司会者、福山、奥村、蒔田、春山さん。前列伊藤さん

 集会では龍谷大学の奥野さんが「あまりにもひどい内閣だ。進行中の国会でさえドンドン解釈を拡大している。とくに「起こっていないところでも解釈で派兵できる」などと言っている。*(ついにミサイルまで消耗品で武器ではないというに至った。4日中谷大臣)」

 京都弁護士会の福山副会長は「考え方に右から左までさまざまな人がいるのですが弁護士会は会長以下総力をあげてこの法案の違憲性を訴えています。」

 SEALDs KASAI の伊藤さんは「海外でのんびり遊んでいた私がいまここにいます。それはポーランドで戦争のむごさの展示を見て日本も戦争に向かっていると感じたからでもあります」

 戦争させない女のレッドアクション蒔田さんは「ママのデモや子供のいるデモに直接暴力をふるう人が出てきました。私も後ろから殴られた経験をしました。暴力でなく私自身の言葉で、生きてる中からの言葉でしか法案をつぶせないのです」

 医労連の春山さんは「原爆投下もそうでしたが原子力は医者を否定します。なぜなら治療で追いつけないからです。戦争はそういう意味からも二度としてはいけないんです」 

 この後デモに移りました。この日は労組の幟が目立ちましたが、そういえば街宣車は京都総評が引き受けていました。ですのでデモも「シュプレヒコール」という呼びかけから動き出しました。

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デモの先頭

 先日のサウンドデモとは様相が違うデモとなりました圧倒的に中高年層の参加者が多いという感じでした。しかし街宣車がデモで訴えていることに呼応する一人一人のコールは真剣でした。しかし若い労働者の参加が少ないということは労組の限界があるのでしょうか。それとも若い人は他のデモ形式に流れているのでしょうか。

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とはいえ参加した人の中で創意工夫の幟を発見しました。忙しい中の制作に撮影しているカメラマンも思わずレンズを向けたくなりました。 今後ますます参加者の言葉でデモが盛り上がることを祈りたい気持ちになりますね。

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↑クリックすると拡大します

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この集会・デモには「NOBASE 沖縄とつながる京都の会」も呼びかけ人となっていて独自の横断幕が目を引きました。戦争法案と沖縄問題が直結しているということでのアピールとなりました。安倍政権が沖縄の工事を9月9日まで中断すると発表しました。明らかに支持率低下の防止策。国の権力を総動員しての反対する住民 への介入が再び1か月後に再会されることがないためにも戦争法案で安倍政権を追い詰める決意とも受け取れました。

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サウンドデモに個人参加で400人 [安保法案]

8月2日の17時[NON STOP KYOTO xSAY NO WAR サウンドデモ」安倍政権の戦争法案の廃案を求める緊急行動がありました。サウンドデモはトラックにPA(音響装置)を備えてデモの先頭に並びラップ調にコールをする。すると後方のデモ隊がコールを返す。トラックの音量の届かないデモ後方には思い思いの楽器を持ってコーラーの音頭に合わせて楽器を弾きながら、たたきながらコールするスタイル。京都ではこのデモスタイルは結構根付いたようです。

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↑トラックのコールがラップ調なのでデモ隊もコールを返しやすい

「戦争法案つぶそう」

「NO WAR 」

「自民党って感じ悪いよね」

「これが民主主義だ」

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↑オープンな車の上からコールする

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↑コールに返すトラックのすぐ後ろのデモ先頭

市役所前の集会には100人だったが 出発してからどんどん飛び込む人が増えた。旧来の組織デモのように先頭の閉ざされた車の中から「シュプレヒコール」と呼びかけるスタイルだとなんか身内だけに呼びかけているような感じだ。そして参加者も動員ということもあってか多く歩道の通行人に呼びかけることも、思い思いのプラカードを見せることも少ない

この日はその一人一人の思いがいろんなPOPとなって高々と頭上にかかげたのが印象的だ。そして参加者の声は瞬く間に一つになって先述したコールを街に響かせた。最終的には緊急呼びかけにもかかわらず400人の参加となった。なお、デモのコースは市役所前~四条河原町~三条河原町~三条大橋の繁華街コースだった。主催は合同企画。

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愛宕山で千日詣り、「おのぼりやすとおくだりやす」 [京都の行事]

7月31日から8月1日にかけての夜、標高924メートルにある愛宕神社への参道がにぎわいました。とくに幼児連れの親子の姿が微笑ましいですね。とにかくバス停から大人の足で2時間半はかかろうかという参道ですから。表参道はかなり広く、夜の登山向きに電灯がつるされています。幼児でも足元に気をつければ登れますね。少年たちのグループだけの姿もちらほらと見かけました。

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京都市民にはかなりなじみ深い行事です。千日分の功徳があるから登り、三歳までに参拝すれば生涯火の災難を受けずにすむというのです。 なので幼児や乳飲み子も参拝する。道には電灯がついているとはいえ急坂の場所も数多く滑りやすいことも山道ならではです。それでも山から下りてくるほとんどの人が「おのぼりやす」と登る人に挨拶します。すると「おくだりやす」と返事が返ってきて、同じ山に同じ目的で動く連帯感みたいなものが生まれてきます。

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もう一つの人気を支えるのは神社の護符「火廻要慎」 と「しきみの枝」にあります。持ち帰り神棚に供えたり台所に貼ったりします。「火の用心」の心得みたいなものでしょうね。とくに護符は神社に参拝しないと授かる場所がないので他人の分も代理で受け取る人も多くいるようです。愛宕山は「火」の神様として信仰が厚く全国800余りの愛宕社の総本山なんですね。そして修験者の修行するところでもあり愛宕聖といわれ愛宕信仰も広く流布していますよ。京都市の花背や広河原の松上げもその信仰への献火となっています。

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 毎年この日の夜は満月が輝くのですが、愛宕山は木々に覆われて夜景を楽しむ場所があまりありません。たった1か所7合目あたりに展望が広がる場所があった。その昔カワラ投げが流行ったとの立看の案内がありますね。昇りよりも下りの方が足にはこたえますのでご用心を。そして山は公園ではないということも肝に銘じてくださいね。千日詣りの夜も天候の急変もありうるのですから。

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京都の花街で八朔行事 [京都の行事]

8月1日の最高気温38.5度の京都。そんな猛暑なのに祇園や宮川町の花街を歩く芸舞妓のなんと涼しげな雰囲気。特に祇園では正装での歩き。お茶屋さんにあいさつ回りをして「おめでとうさんです」というだけらしいが38度超えればあの服装では熱中症も心配したくなる。とはいえ撮る方もその心配はあることになるのだが。

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↑花見小路の一力に入るため黒紋付きで通る舞妓 

八朔というのは旧暦の8月1日のことで花街では新暦のこの日にお茶屋さんや舞の井上八千代宅へあいさつ回りをする習わしが続く。もともとは農家が豊作を祈ることによる。事実京都では8月末だが、大原の里の村々が里はずれの江文神社に集まってきて踊りまくる習わしが残っている。 

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↑9月の最初の土曜日に開かれる大原八朔 

祇園ではおかみさんと連れ立って挨拶する姿も多いのだが、一人で歩いて回る芸舞妓もいるようだ。 たまたま四条通を移動中に通った芸舞妓さんが知り合いを見つけて頭を下げる姿が撮れた。その所作は美しい。舞妓さんの首筋はいつもなら2山なのだがこの日は3山。いわれを知らないのだが見落としがちだ。

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一方宮川町では黒紋付きではなく夏着物。色とりどりでこちらもなかなか美しい。 そして日傘の中に見える顔も涼しげなのはよほど日頃からの鍛錬が行き届いている証なのだろう。

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宮川町では舞妓姿で挨拶する人がいた。短時間の撮影だったが他の人は見かけなかった。おかみさんを先頭に歩く夏着物の舞妓 さんと遭遇してたちまち挨拶の輪ができた。日差しあくまでも強く、石畳の照り返しも強烈な宮川町なだけにそんな気象を気にするそぶりを全くしない優雅さだった。

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