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鴨川上流本流域を歩く。倒木多く水量減り [ここを考える]

鴨川は観光や市民の憩いの場所としての側面から一歩上流を丁寧にスケッチしていくと多くの問題が浮かび上がることがわかりました。京に都ができて白川天皇は「鴨川の水、双六の賽の目、山法師」を自らの思うようにならないと話したと伝わります。その鴨川の水に異変が起きつつあります。

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↑鴨川上流の中津川の清流。川には倒木が散見された。

鴨の源流の一滴が落ちるとされる雲が畑の岩屋志明院。その水がやがて祖父谷川と合流して打越峠への道の手前の白梅橋あたりで 「鴨川」の起点となる。しかしその源流も源流の山は手入れがされずなんと倒木の多いことだろう。岩屋志明院の住職田中真澄さんは「昔は1メートルの積雪でも倒れなかった。気候温暖化によるのだろうが雪質が重く水分を多く含むようになり15センチで倒れるようになってきた」と話しました。

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↑倒木に覆われるかのごとしの鴨川源流域

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↑鴨川の起点とされる白梅橋と本流

この雲が畑一帯は林業も盛んであったし現に地域には地元の組合でつくる「雲が畑林業総合センター」という施設もある。そして何よりも森林から流れ出す水は命を育む聖域みたいなものだろう。実際「汚す」などということはこれっぽちもないというのが何よりも集落を俯瞰すればわかる。そう山の中に集落はあり水と樹木は何よりの宝なのだ。 ↓

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その地域の人たちが山が荒れていくことを見守るしかない現状だ。そして流域に散見する廃棄物置き場とみられる場所。なんといっても上賀茂神社からでさえ車で30分も走ればこの源流本流へと入れる近さ。都会の廃棄物がここにやってきたのは昭和60年代とされる。この間廃棄物と河川管理の二重行政(京都市と府)が雲が畑住民の要望を実行する障害になってきたのだろう。そのことは2002年12月の京都弁護士会による意見書に詳しい。

 雲が畑産業廃棄物処理施設問題に関する意見書

さて雲が畑から市内に向かうとその廃棄遺物処理場の下流での水遊びグループを数多く目にした。2013年の 台風の影響で産廃場から数多くが流出して市原の十三石橋あたりを中心に多くの浮遊物や重機を入れないと移動できないコンクリ片やタイヤなどが目視できた。そこで2014年春ボランティアがゴミひろい、府が公費で重機投入した。

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↑2013年9月台風」での柊野ダム上流の様子

その鴨川も先の田中住職によると下流から上流への逆転土砂堆積が 起こり始めたという。今あるダムによりせき止められた土砂が今度は上流へと向かいだした。そこで上流域も水害や産廃場の土砂を押し流すことが増えているのだと。1990年に京都府は市内の洪水防止をダム建設でという案を撤回しました。田中さんをはじめの反対運動があったことを覚えています。

その時田中さんは「ダム建設に何百億万円もの巨額の費用を投じるくらいなら、その半分の額でも森林の保全と育成にもっと英知を傾けるべきです。森林従事者が森を育てることに意欲と希望持てるように行政が目を向けるべきです。」と話していました。

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↑保水力が低下したのか山が崩れているところがを散見した

果たしてダム建設中止によって森林保全の方向性はどうなっていったのか今後の課題としてしたい。産廃場下流で水遊びする家族つれ↓。そうこの夏場は水は少ないのが際立つ。しかしひとたび雨が降れば上流さえもという近年の川の変化がある。

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