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バイバイ原発3・6きょうと」 [バイバイ原発京都]

ふくしま原発事故10年。コロナ禍での厳しい制限の中で開催される


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会場は屋外の円山音楽堂でしたが定員を800人に限定され入場時の検温、消毒、間隔、大声は出さない、もちろん全員マスク着用という対策をスタッフ総出で準備しました。
コロナ対策画像(クリックで拡大)
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バイバイ原発
3・6きょうとにコロナ禍800人
 2021年3月6日(土)に円山音楽堂をメイン会場に13時から開催しました。昨年はコロナの影響で実行委員会メンバーだけでの無観客集会となりましたが、今回もその影響で毎年2000人の人が集まりますが800人という厳しい制限を受けての開催となりました。メインすぴーちを「福島原発事故の責任を誰がとるのか」と題して福島原発告訴団団長の武藤類子さんが行いました。
 次いで4つをテーマにして各分野で活躍する人たちが「報告とスピーチ」、「集会決議」と続きました。当ニュースでは記録も兼ねてすべてのスピーチ全文を掲載します。
 集会の後、祇園石段下から四条河原町を経て京都市役所前までのデモに移りました。こちらもコロナの影響で個人個人が大声で呼びかけるスタイルを断念しました。プラカードに鈴をつけて先頭の車~各グループの個人のスピーカーにつなぎその呼びかけにプラカードを振り鈴を鳴らして呼応する形とな画いました。デモの写真集も当ニュースのカメラマンが最後まで撮り続けています。
主催者挨拶 溝内啓介(呼びかけ人代表)
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 今日は京都でも緊急事態宣言も開けたわけなんですがまだまだ感染リスクがある中このようにお集まりいただき誠にありがとうございます。そして来賓の皆様、講演をいただく武藤さん、それからスピーチをいただく皆様。それと準備から運営にかかわっていただきましたスタッフの皆さん、すべての皆様に感謝を申し上げたいと思います

3・11東日本大震災そして福島の原発事故があってから10年。節目の年になります。しかしこの10年でどうでしょうあの原発事故の責任を誰がとるのかいまだに明確になっていません。東電の旧経営陣にしっかりとこの責任を認めさせることがとても大切なことだといえると思います。この後ご講演いただく武藤さんの話を聞いていただければそのような思いをより強く持っていただけると確信しております。

?実はわたくしこのように言っておりますがこの集会そしてデモにも参加させていただくのは今日が初めてでございます。大変恐縮なんでございますが、それでも決して関心がなかったわけでもないし明確に原発に反対の意思を持っています。でも、この実行委員会に参加させていただきましてそして、先日も海部弁護士の学習会に参加したりとか、武藤さんの本を読まさせていただく中で「いや~知らないことが一杯あるな~」という思いでいます。きっとですね皆様にも周りにもそういう人はたくさんいると思います。ですから是非今日の集会で感じていただいたことを持って帰っていただいて身近な人かからしっかりと伝えていただきたい。とこんな風に思います。よろしくお願いします。

最後になりますが今日は感染拡大防止ということでちょっと寂しいですけど「密はダメ」「声を出してはダメ」ということがあったりして生の歌声を聞くことができません。先ほどからCDがながれていましたけど武藤さんが作られた歌を聴いてぜひ心を一つにしてこの大会を盛り上げていただきたいと思います。脱原発の社会を目指して1日でも早くその日が来るように頑張っていきましょう。

「福島原発事故の責任を誰がとるのか」武藤類子(福島原発告訴団団長)

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(1)? 原発の裁判について

先日脱被ばく子供裁判について現実からほど遠い正しい判断から裁判所が忖度したものでした。しかしここにきていろんな裁判は一進一退の攻防戦ですが、大きな塊となり国。自治体・東電と闘っているように感じています。東電旧経営陣を告訴した刑事裁判は一昨年3人無罪となりました。「このまま判決が決まることは著しく正義に反する」として控訴しました。今年中には控訴審が始まります。

(2)? 福島原発の現状

ベント用配管が途切れている、格納庫の蓋が高レベルの放射能なのに検知しない。検証しなおさなければならないレベルといえます。先日の地震で1・3号機の水位が下がり続けている、3号機の二つの地震計が故障していた。などと問題が起きる。東電の管理に対する悪質さが浮き彫りになりました。原発事故にとっての10年はたったの10年なんですね。廃炉作業に14000人の労働者を投入しているというが実質事故の終息作業ではないのか。過酷な被ばく労働をして死亡者も20人いるということです。

ここにきて見学台を作ったが高いところで毎時100マイクロシーベルトあるところに高校生を含む一般人に見学させる。またアルプス処理汚染水が124万トンになりました。トリチュウムのほか63核種が除去できずに残留しています。国は海洋放出しようとしています。これには多くの漁連、農林水産、観光業に加えて自治体の7割以上が反対・慎重を訴えていますマスコミが報道するようになり処分しないという方針転換を考えざるを得なくなっています。

3)? 新たな放射性物質の拡散について

福島県に集められた除染土は1400万トンに上ります。中間施設に75%が集まり2045年までに県外に搬出するという法律ができていますが、県外の80%の人はこれを知らないのです。それまでに引き受ける自治体はないと思いますし、私は搬出すべきではないと思っています。

?そのためか環境省は汚染土を再利用して減らそうとしていています。再生して拡散しようとしています。現在は飯館村の帰還困難地域で実証作業が行われています。汚染土の上に土をのせて花など食べないものを植え始めました。それが今、直接汚染度にキュウリやカブなど食べられるものを植える実験がされるようになりました。大学生などに紹介し各地に広めようとしています。

併せて木質バイオ発電の問題もあります。県内原発は廃炉なので再生可能エネルギーに力を入れています。数か所に建設されています。バイオは二酸化炭素の削減になるのか疑問視されていますが、放射能汚染された木を燃やすことが問題です。燃やすことで拡散し、残った灰を再生資材として使われることが懸念されます。事故の後にも新たな被ばくの危険性があります。バイオ発電所は森林除染を変えるとして主要株主に東電と子会社がなり加害者が被災地で電気を売ることに憤りを感じます。

?4)? 小児甲状腺がんについて

当時2年に一度行われる18歳以下の検査だけでした。現在までに225人の人にがんやその疑いがあるとされています。検討委員会は多発ではあるが原発との関連は認められないとしています。委員の中には見つけなくてもいいがんを見つけ患者を苦しめているとか学校での検診は強制性があるという理由をあげ過剰診断といい、検査自体を縮小していこうという動きがあります。

?学校の検査は希望者だけが受診することになっていますし、必要な施術を行っているだけだということです。県民健康調査以外で見っかった甲状腺がんを数に認めないなどの点も指摘されています。福島県にある「たらちね」による調査では学校での検診希望が80%ありそれも生涯希望する人が50%いました。放射能拡散を踏まえて子どもたちの健康を長期に見守ることを目的にしています。今後も続けるべきだと思います。

(5)? 伝承と教育

昨年9月に東日本大震災災害・原子力伝承館ができました。この立地条件は事故が続く原発から4キロで、中間処分施設の隣なのです。東はすぐ海で3・11クラスの地震が来れば津波で水没する恐れがあるそうです。そこに高校生などの修学旅行の誘致をしています。

?240万点の資料が集められ170点の資料が公開されています。しかし展示内容を決める有識者会議は非公開で行われました。議事録も公開されましたが一部は黒塗りのままです。開館直後の報道では「事故の実相は展示されていない」「安全神話を住民に刷り込んでいたことが伝わらず、事故の反省が伝わらない」「映像が多く実物の展示が少ない」と言われています。私も「東電裁判で明らかにされた不作為」や「双葉病院の詳細な資料」などが展示にないと思いました。スピーディーが公開されなかったことやヨウ素剤が適正に配られなかったことなど事故対応の失敗や原発事故責任の展示がありません。災害の伝承とは起きたことをきちっと検証し反省し次への教訓を導き出すことを使命としていると思います。この3月にこれらの声を受けて変わるとは聞いています。

(6)? 原子力勢力の復活

復興化促進イノベーション構想の中で避難指示区域だった市町村に国際研究拠点が作られることになり、今、誘致合戦がされています。大学や研究所・企業などが参画し、除染や廃炉技術などを中心とする研究都市を産・官・学そして住民を巻き込んで作るということです。アメリカのハンフォードをモデルにして作ろうという。ここは長崎の原爆、プルトニュウムの施設です。磐城などの大学生をすでに視察に行かせています。コロンビア川への汚染、廃棄物の地下漏洩などアメリカ一汚染された場所だといわれています。そこに多くの研究機関や企業が集まり大きな街になったためにモデルとして挙げられたと思います。が、近隣の高校リッチランドの校章は今でも「きのこ雲」です。福島はようやく原子力の呪縛から解かれたにもかかわらずまた原子力勢力のもとで事故や放射能の不安の声を封じられていくのではと危惧しています。

(以上概要)

  (7)? 本当の復興について

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福島の原発関連死は2300人に及び、118人が自殺、復興住宅での52人が孤独死しています。鬱やPTSが多くの避難者に見られます。事故前の20倍の基準の帰還政策が間違っていると思います。放射能が高いこと、お店などのインフラがと整わないこと、避難が長くなり避難先での生活が定着したことなどの理由で帰還はもちろん進みません。現在も全体の3割にも満たない。県は当初2020年までにゼロにするとして、始めは引っ越し費用を補助するなどして帰還政策を盛んに行いました。しかし、2017年に大規模な避難解除をするとともに賠償や支援を打ち切り避難者の切り捨てに舵が切られました。

?代りに新しい移住者の支援を始めました。復興予算によって避難地域であった12市町村に他地域から移住しそこで就業や起業する人には最大200万円の支給を行うとのことです。一方で避難者の方々はこの10年ご自身の努力によって生活の再建を目指してきましたが、なかには避難先の公営住宅の提供が終了しても新しい住まいを探すことができない方もいます。県はその人たちに2倍の家賃を請求したり、裁判を起こしたりしています。親族の住所を調べたりして暗に圧力をかけるという事件もありました。

?事故から10年被害者は事故が無ければあったはずの10年を失い違う10年を生きてきました。事故で失うものは家や仕事だけではなく、お金には換算できない人や地域とのつながり、長く伝えられてきた伝統行事、季節と共に自然と触れ合う楽しみもあります。それらを失うことは生きる尊厳を失うことになります。それがなかなか伝わらないし、損害賠償でも認められない状況です。

?国と県はイノベーション構想をうたい新しい事業に莫大な復興予算をつぎこんでいます。そこではまた原発関連企業が集い利権を得ています。産業も変わってしまい今行われている復興とは故郷が元に戻ることではなく知らない人が住む知らない町になっていくのだな~と思います。ある役場の新庁舎完成のイベントにスタッフが着ていた服の背中に「振り向く暇があったら前にすすめ」。人災である原発事故の被害者に対して、起きたことを忘れ復興、復興と前を向くことだけを強いています。

?325日にはオリンピックの聖火リレーがJビレッジからスタートする予定です。この場所は東電が7・8号機を認めてもらうために福島に寄付した。事故後に終息作業の拠点として東電に貸し出され充分に除染しないまま県に返されました。指定廃棄物並みの放射性物質を密かに敷地内に保管していたといういわくつきの施設です。安倍晋三前首相のアンダーコントロールという嘘から始まり復興五輪という嘘を塗り重ねコロナというおまけまでつけられた茶番に「福島はオリンピックどころじゃねえ」といいたいです。

10年行われてきたことは事故の問題を見えなくして幕引き目論見、被害者を切り捨て放射線防護を大きくゆるめ、原子力産業に再び利権を与えその復活を許すことではないかと感じています。これからの時代は核の問題に加えて気候変動やそれに伴う激甚災害そしてコロナのような病気が世界を襲うかもしれません。若い人たち、子どもたち、未来の世代に向けて何ができるのか原発事故を経験した一人の大人として考えなければなりません。地球に生きる一つの生物として全生命の深化であるこの星を少しでも傷つけずに存続させる努力をしていきましょう。?

ゲーリースナイダーの詩「子どもらによせて」

せまりくる峰々に登るとき君に君たちにそして君たちの子どもに寄せる一言を、離れ離れにならずに花々を学び花々の道を装い軽く歩いて行けよ。離れ離れにならずに花々を学び花々の道を装い軽く歩いて行けよ
報告とスピーチ
「原発事故から10年」原発賠償京都訴訟原告団 共同代表萩原ゆきみ

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 共同代表の萩原です。裁判所にTPSDアンケートを提出しました。そのうち避難してきた子どもの6人に一人が引きこもりやきょうこうになっていることがわかりました。私の末娘もそれに近いものがあります。最近私もTPSDのアンケートでインタービューを受けました。そこで避難当初の話をするととても悲しくなるのはなぜなのか?考えることができました。子どもたちと3・11以降充分にかかわれなかったことが私の「トラウマ」になっていることに気づきました。

しかし「原発事故が無ければこんなことにならなかったのに」と思うことはもちろんですが、避難当初からの自分の行動は仕方がなかったことだと思っています。それからもいろいろと学びました。私が癒されることで娘も癒されることがわかりました。かといって原発事故のことを忘れることもできません。でも活動にのめり込んでいては自分も家族も癒せないし、生活も立ちいかないしとジレンマが続いています。例え世界中の原発が廃炉になっても、娘が人生に絶望していたり自殺を考えていたりしたら本末転倒になってしまいます。

また誠実で笑顔もありいっけんお元気そうに見えるある避難者さんにこんな質問をしてみました。「バイバイ原発の発言内容を考えているのだけどあなたにとってこの10年はどんな10年だった」と聞くと「一言では語れないけど、本当に頑張った。」とたった一言漏らして肩を震わせて泣いておられました。私には痛いほどその気持ちが伝わってきました。

毎週金曜日の関電前行動や各地のセミナーなどに私たち避難者がご一緒できないのがとても辛くて申し訳なく思っています。ですが私たち避難者も未来を心配してばかりでは生きられません。なんとか希望を見出そうと日々懸命に生きています。そんな中で脱原発社会を目指してくださっている皆さんがこうして大勢おられることに私たちがどんなに励まされているかわかりません。本当にありがとうございます。

「老朽原発うごかすな!」橋田秀美(若狭の原発を考える会)

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「若狭の原発を考える会」の橋田です。が、今日は主に「老朽原発うごかすな!実行委員会」の一委員としてアピールをさせていただきます。

?さて、若狭には稼働から40年をはるかに超えた3機の老朽原発があります。稼働から46年、45年、44年になる、高浜1号機、2号機、美浜3号機です。原発が老朽化すれば、危険性が急増することは多くが指摘しています。ところが「40年越え運転は、例外中の例外」としながら、規制委員会は2016年に、この3機の運転延長を認可しました。しかし、認可後、関電の原発に関して蒸気発生器の減肉・損傷、原発再稼働準備工事中の死亡を含む人身事故、原発マネーの不正還流など、トラブル、事故、不祥事が頻発しています。関電が原発を安全に運転する資質と体制を有していないこと、また、新規制基準が不完全で、規制委員会の審査が極めていい加減であることを示しています。再稼働認可を取り消すべき事態です。

今、そんな若狭の老朽原発再稼働を巡る状況が、目まぐるしく動いています。高浜1.2号機を抱える高浜町は、日本初となる老朽原発の再稼働にいち早く同意を表明した自治体となりました。続いて美浜町も、美浜3号機の再稼働に同意しました。また、「使用済核燃料の中間貯蔵地を福井県外に示さない限りは、老朽原発再稼働の議論には入れない」と言っていた杉本福井県知事が、212日、関電の「2023年末を期限として候補地を示す」という報告を受け、態度を一変させ「一定のめどが示された。」として県議会に老朽原発再稼働の議論を促しました。資源エネ庁や経産省など国からの後押しが相当のものだったことは想像できます。しかし、二度にわたる約束破りを経て、更に3年後まで先送りするという、関電の欺瞞を前に変節した杉本知事に、今、県議会は紛糾しています。

? 高浜12号機の、特重施設いわゆるテロ対策施設の工事期限が本年6月、美浜3号機は来年10月と迫っていますが、工事終了の見通しは示されておらず、たとえ今うごかしたとしても、すぐに停止となります。それでも政府や関電は、たとえ1か月でも稼働して、60年運転への実績を作りたいのだと考えられます。

 老朽原発再稼働への危機感を強く認識した私たちは、ほぼ3年前から「老朽原発うごかすな!」の大行動を始めました。高浜原発から関電本店まで歩いて繋ぐリレーデモ、その逆コースを歩く関電本店から美浜町までのリレーデモ、関電本店前、高浜町、美浜町における全国集会も複数回開催しました。関西・福井各地において「老朽原発うごかすな」をテーマにしたキャンペーン期間設定、関電や原発立地自治体、規制委員会などへの申入れ・抗議ハガキ送付行動も実施しました。昨年から今年にかけてはコロナ禍における運動の在り方を、苦悩しながら必死に模索しました。結局、実行委員会は、コロナなど無いかのごとく進められる原発再稼働工事や、原発内でコロナ感染者発生が相次ぐ中でも運転を止めない関電や政府に対して、我々が行動を自粛・委縮することはできないという意識統一を確認しました。

 昨年96日の「老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」には、日本列島のほとんどの集会やデモが取りやめられる中、全国から1600名もの方が大阪に結集され、途中からの大雨にも負けず、堂々のデモ行進も貫徹されました。昨年秋から冬にかけては、高浜町、美浜町、また舞鶴市においても、議会が老朽原発再稼働に向けた議論をすると聞いたら、その都度議会傍聴や、抗議行動に駆け付け、その回数は10回にも及びました。こうした緊急行動がすぐさま実行できることが私たちの運動の特徴です。このような取組みに、これまで一緒に行動することのなかった組織や団体がその垣根を越えて賛同、参加され、「老朽原発うごかすな!」を合言葉に連帯の輪が広がっていることを実感しています。

? 先月、起こった福島県沖地震。10年前、福島原発過酷事故を経験した人々はどんなにか胆を冷やされたことだろうと思います。広島、長崎そして福島まで経験した私たちが、老朽原発再稼働を許すようなら、世界から笑い者のそしりをまぬかれません。「原発全廃」は、犠牲になられた方への唯一の弔いです。故郷を奪われた被災者、避難者の方へのせめてもの癒しです。そして未来への希望です。7年間、若狭に通い、住民の方の声を聞きました。「40年超え運転は絶対あかん!」が圧倒的多数です。

 みなさん、若狭の老朽原発はまだ動いていません!関電は美浜3号機を本年1月に再稼働させる予定でした。もう2か月遅れています。まだまだ、私たちの闘い如何では、十分老朽原発は止められます。今が正念場です。老朽原発再稼働阻止を突破口に、全原発の廃炉を実現しましょう。

320日は、高浜町にて、「関電よ[むかっ(怒り)]老朽原発うごかすな!高浜全国集会」を開催します。京都、大阪、滋賀からバスを配車します。ぜひ、みなさんのご参加をお願いします。 

「原発事故から住民を守る対策の相次ぐ後退」 市川章人(日本科学者会議京都支部)

 

 私は原発事故から住民を守る対策の問題点と、私たちの課題についてお話をします。原発事故に対し国が2012年に原子力災害対策指針いわゆるガイドラインを作りました。それに基づいて県市町が避難計画を作っています。しかし指針はもともと住民合意を最課題にしていません。ためにその後も内容は後退しております。

 

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●安定ヨウ素の配布の中止

混乱を減らすという口実で減らしたのは被ばく対策です。その典型が2015年指針の改定が行われました。それまで予定されていた30キロ~50キロの間のPDAUPZの設定と予測設定、スピーデーの活用を取りやめました。そして放射性物質が来てから安定ヨウ素材を飲んでからでは効果がないという理由で配布をやめました。この逆立ちした考え方に追従して京都市は右京区・北区・左京区の25,000人分の安定ヨウ素材の備蓄をやめています。さらに2018年には指針では被ばく防護の内容を努力目標に下げてしまいました。このように現状災害対策指針は原発再稼働を大前提に、原発事故があっても住民が守られているようなみせかけをしています。 

●屋内退避は放射能の避難基本から外れている

その一つが屋内退避の問題です。原発から半径5キロの外側の人に対しては屋内退避が適用されます。避難指示はよほど放射線量が高くならない限り発出されません。内閣府は屋内退避が充分効果的であり数日以上続けることもあり得るとまで言っています。しかし放射線物質を含むプルーム空気の流れが来るにもかかわらず逃げないということで放射線防護の基本から外れています。実際プルームからのγ線は木造家屋ではたった10%しか減らすことができません。また、閉めきった屋内にいれば内部被ばくは避けられるというのは事実からかけ離れています。普通の建物では完全密閉にはできず、必ず放射能プルームは侵入してきます。特に物質が気体の場合は深刻です。国内退避が長引くと密閉性がどうであれ屋内に留まる放射性物質の合計量がみな同じになることです。それは入りやすい建物では出やすいのですが入りにくい建物では液が入ればなかなか出ていかないからです。

結局放射性物質の合計量は屋外にいてプルームを浴びたのと全く同じになります。屋内退避はなんの効果もないということになります。1時間続くプルームがあった場合、おおよそ半日屋内退避をしたら同じ結果になります。原子力規制委員会が研究委託した内容でもが同じことを指摘されているんですがもちろん公表しません。

 被ばくを避ける基本は最善の対応としてはプルームが来る前に避難すること、この点は国際原子力機関IAEAでさえそのように言っています。やむを得ず屋内退避をする場合は安定ヨウ素が不可欠です。しかも1日以上屋内退避をしてはならない。とまで言っています。避難についてはみんなで逃げるを合言葉に使用ではありませんか。

 ●自治体は主体的に調査と検証を

 原子力災害は個人だけでは対応できません。特に決定的なのは自治体対応です。災害から住民を守るこのことが我々住民に最も身近な自治体の責務です。ところが昨年12月舞鶴市など北部で老朽原発の再稼働の説明会が原子力規制庁、関西電力、エネルギー庁合同で行われました。認定現状が大前提の身勝手な説明であるにもかかわらずこれを「いい説明だ」という率先して納得する組長がいます。これらの組長は責任放棄に等しいものです。様々な問題に自治体は主体的に調査と検証を行うべきです。住民は自己責任で逃げざるを得ないような状況を放置することは許せません。自治体には何よりも実効性のある対策を徹底追及する自己責任があります。そういっても多数の住民のひなんは容易なことではありません。複合災害の可能性もあり実効性に大いに疑問があります。そこで重要なのは自治体に実行性があるかないか実態をリアルに把握し検証させることです。そして、住民を守る確信が得られないときは原発再稼働は認めない、これが自治体の取るべき態度です。アメリカでさえ住民のアンケートが実効性がないから原発の設置を認めていません。すでに作った原発でさえ廃止をしています。

 国や電力会社に追随する自治体、どうせ行政は信頼でいないといって放置するのではなく、住民を守る法的責任を果たせという要求を具体的な内容で突きつけ実行させる取り組みを強めようではありませんか。

「脱炭素社会に向けたエネルギー政策」 延藤裕之(気候ネットワーク)

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●原発事故後にエネルギー転換できなかった失敗

 皆さんご存じのように1997年12月に京都議定書が採択されました。地球温暖化の解決に向けそしてパリ協定につながる大変貴重な世界の約束です。しかしながら日本政府は原発を温暖化対策の柱に位置付けました。これがそもそもの間違いでした。この温暖化対策はCO2も削減できず安全でもなく安価でもない大変不適切な政策でした。それを現出したのが2011311日で取り返しのつかない被害を生み出してしまいました。その時省エネや再生可能エネルギーに転換するべきでしたがそうはなりませんでした。

 CO2の最も排出量の多い石炭火力発電所が増加しました。世界では気候変動対策の第一歩である石炭火力発電所の削減に向かっていることに逆行するものです。原発や石炭火力を中心にしている大規模集中型の電力システムは省エネや再生可能エネルギーの普及を妨げます。その電力システムは原発と石炭を抱き合わせて成り立っています。

 ●まず石炭火力発電所を止めよう。炭素税などの導入

 私たちはまず石炭火力発電所を止めることが原発ゼロへの近道だと考えています。ではどのような方向に進むべきでしょうか。今ある省エネや再エネの技術は脱炭素社会を実現するために充分なものです。夢のような技術は必須ではなく、CCFや次世代原子炉に頼る必要はありません。炭素税などのカーボンプライシングや適切環境アソシメント制度などを導入し地域が主体になって今ある技術を早急にそして着実に進めていくことが必要です。

 ●再エネ電気は変動するがコントロールできる

 世界は再生可能エネルギーに100%向かっています。再エネは雇用を生み地域を活性化させます。もちろんCO2の大幅削減もできます。また、総コストも大幅に下がってこれからも低下していくことは間違いありません。再エネは不安定という言葉は適切ではありません。再エネの電気は変動するものです。それを安定的にコントロールする技術が今はあります。しかしながら再エネにも課題はあります。といってあきらめてしまうとそれよりも何倍も環境負荷や事故のリスクの大きいものが残ってしまいます。私たちは再エネの環境負荷を下げ地域や市民にメリットのある再エネ普及に取り組んでいます。市民や地域のために設置する再エネへの支援や協力を行ってください。

●パワーシフトも脱原発への近道

もう一つ重要な取り組みにパワーシフトがあります。旧来型の電気を販売する電力会社ではなく再エネを中心に電気を販売している電力会社、地域が課題の解決や市民活動を支援する。新電力会社に切り替えることがパワーシフトです。私たちが連携しているテラエナジーやカンタンエナジーという電力会社があります。電力の切り替えはとても簡単です。多くの人がパワーシフトを行えば脱原発や再エネ普及の効果も大きくなります。そして現在第5次エネルギー基本計画の見直しが行われています。現在の計画の2030年の電源構成は原発や石炭火力発電の割合が大きく大変問題のある計画です。今こそ透明性のある議論がなされ望ましい計画に変換することが不可欠です。この点にも注視し私たちの声を届けていく必要があります。

 気候危機の状況も原発のない社会を実現するために残された時間は余りありません。これから数年間も私たちの選択と行動が問われています。適切なエネルギー計画が導入され省エネや再エネが当たり前になりもっと豊かで公平で平和な社会に移行することが私たちが目指している脱炭素社会です。

集会決議 提案者二橋芙紗子

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福島事故から10年

私たちは思いを新たにして以下の決議をいたします。

〇福島事故によって奪われた暮らし・健康・環境・地域社会を国と東京電力に償わさせよう。

〇東京電力刑事裁判、東京高裁で勝利し、福島事故原発の刑事責任を東電旧経営陣にとらせよう。

〇原発マネー不正還流を引き起こした関西電力に原発を運転する資格はありません。

〇地震列島・日本、高浜原発などの老朽原発をはじめ、すべての原発の再稼働をやめさせよう。

〇脱原発社会を一日も早く実現しよう

 

 

写真特集・集会編

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この後、集会に参加できなかった人も加わって祇園石段下から四条河原町を経由して京都市役所前までのデモを行いました。例年ですと各グループの一人が持ったハンドマイクに応えて一人一人が大声で歩行者にアピールするスタイルでした。コロナ感染を考慮して声を出すのは中止しました。代わりに集会場で受け取った鈴のついたPOPの紙を振ったり揺さぶったりして訴えました。

写真企画・デモ編

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バイバイ原発3・8きょうとNO3写真特集 [バイバイ原発京都]

3月8日の集会・ひろば企画・デモの写真の特集です。(クリックすると大きい画像になります)

集会には2500人が参加しました。すでに紹介した挨拶で福島の現状や非難した方の訴えがありました。(NO1とNO2)ほかに金子 勝さんの講演と制服向上委員会が3年連続で舞台で思い切り「脱原発」をうたい上げました。左から講演する金子さん、制服向上委員会、バックダンサーズの皆さんです。

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さらにステージにはこの日の呼びかけ人の皆さんが座りました。あえて名前を書きませんがいかに脱原発をリードしてきた個人が集まっています(左)。ステージ向かって右側には挨拶した人や政党代表、国会議員が並んでいました(右)。(中)はステージから客席を写したものです。

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順番が逆になりましたが集会の冒頭は震災の黙とうを1分間行っています。左が場内、右が壇上です。

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なお、この日採決された集会決議の全文はこちらです。→集会決議.pdf

主催者代表佐伯さんと福島原発告訴団地脇さんの話しはNO1でこちら

福島市から避難している、うのさえこさんの話はNO2はこちら


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「バイバイ原発3.8きょうと」に2500人。その2 [バイバイ原発京都]

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「バイバイ原発3・8きょうと」には福島市から避難の うの さえこ さんが事故後の苦しみを述べるとともに多くの方に支援をいただいたと感謝の言葉を真っ先に話しました。そして「目を凝らしましょう」と「耳を澄ましましょう」とその思いを語りました。そしてそんな中で強く訴えたのは 

SFO_0520.jpg「私たちが恐れるのは嘘です。幻想の上に町を再建することです。

人々が被曝し続けることです。声なき無実の命たちの未来が奪われていくことです。

私たちは変化を恐れません。恐れるのは悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執することです。

と語ったことに尽きています。そして人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和し、つつましく豊かに暮らす世界に」と結んでいます。

以下お話の内容です。文責は堀内隆喜にあります。

うの さえこさんのお話全文

(PDFはこちらで読めます)うのさえこさんのお話全文.pdf

201438日バイバイ原発きょうと)

 福島市に3年前は住んでいました。昨年の4月から京田辺市にお世話になっています。

 あと3日で3月11日がやってきます。3年前のあの日福島市はとっても寒く、今にも雪が降りそうな灰色の空を想い出します。あの日から今日までやむことのない原発震災の中で亡くなっていったすべての方の命に祈りを捧げたいと思います。たくさんの命が失われそしてその未来を変えられました。避難の困難の中で亡くなっていった命、津波を生き延び助けを求められながら失われた命、絶望の中で自ら断たれた命、原発の収束作業の中で失われた命。動物、鳥、魚、虫たち、無数の小さな命たち。

SFO_0519.jpg私は福島市でしたので津波の被害には遭いませんでした。でもこうやってたくさんの命が失われていく中で私は偶然にも生き延びているのだと。そしてたくさんの人の支えがあって生き延びているのだと感じています。

この集会で挨拶のお話があって何を話せばいいのかと悩んできましたが、時がたつにつれて誰にどのように何を伝えればいいのかとても難しいと感じています。

 まず伝えたいことは皆さんにお礼を言いたいです。被災者、避難者たくさんの支援をいただいてきました。本当にありがとうございます。

 それから開会の挨拶をされた佐伯さんのように長い間、原発・核の問題に警鐘を鳴らし続け声をあげてくださった皆さん本当に今までありがとうございました。

 ここにたくさん来ていると思いますが被曝から移住してきた方、京都には本当にたくさんの方が来ていて新しい暮らしをたてようと必死で頑張り続けてきています。その中で雇用や検診や健康相談会や子ども支援法や原発の問題、瓦礫の焼却問題、避難者自身が立ち直るための様々な交流の場を避難者自らが支援者と共に今まで続けてきたと思います。本当に敬意と感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

 この三年間一人一人が必死に生きてきました。まるで戦争の中で生きているような気がします。最近になってそれが増々現実味を帯びてきているように感じています。一方では軍国化のような流れ、そして先ほど地脇さんがお話になったように福島を始めとして汚染がある地域では被曝の受忍が強要されるような流れ、原発が再び推し進められようとしている流れ。この三つの流れの中で私たちが手を結びあってそれぞれの場所で声をあげ続けていきたいと思います。

これから読み上げるのは事故に遭って三か月後に広島で読んだものですが一部を変えて三年後の今日にもう一度読ませていただきます。

 目を凝らしましょう

  見ええない放射能に

  原発事故発生後五日間で放出された放射能は77万テラベクレル

  チエルノブイリ事故の七分の一広島原爆の470個分のセシユウムが

  環境中に解き放されてしまいました

  そして毎日

  空へ、海へ、大地へ大量の放射能が流れ出ています

  それらは生物に入り込み蓄積されています

 目を凝らしましょう

  今、命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます

  大量の被曝を強いられ恐怖と疲労の中で

  私たち社会の命運をかけて働く人たち

  愛する息子が今日も原発事故現場へと家を出ていくのを

  たまらない気持で見送る母親がいます

 目を凝らしましょう

  今、たくさんの人々が被曝を受忍する暮らしを強いられています

  チエルノブイリの強制避難地区と同じレベルの汚染地で

  人々が普通の暮らしをするように求められています

  除染しても戻ってしまう放射線量

  野積にみされる、谷を埋めるプレコンパック

  発見され続ける甲状腺がんや健康の不安

  いつしか人は疲れ果て

  放射能への警戒心を手離していきます

  大丈夫なのかもしれない、仕方ないと人々は村に帰り

  田植えをします

  子ども支援法をねじ曲げられ

  帰還政策と安全キャンペーンが推し進められていきます

  本当の自由と権利を奪われ

  人々の間に分断がさらに押し付けられています

 目を凝らしましょう。

  たくさんの人々が命と最小限の荷物を持ち避難しました

  怒りと悲しみを抱え

  命を守りたい強い意思を持ち

  新しい暮らしを選択した人々が

  ここ京都で、この地で未来を探しています

  原発という存在、死の灰という恐ろしさを

  身をもって味わった人々が勇気をもって声をあげています

 耳を澄ましましょう

  赤ん坊の寝息 子どもたちの笑い声に

  この世界を信頼し裸で生まれてくる赤ちゃん

  世界のすべてを吸収して日々成長する子どもたち

  私たち大人はそれにどうこたえるのでしょうか

 耳を澄ましましょう

  まだ生まれぬ命たちのささやきに

  私たちの命が希望を託す

  この小さな声たちが何と言っているのか

  聞き取れるでしょうか

 耳を澄ましましょう

  生きている地球の鼓動に

  私たちは動く大地の上に町を建て

  一瞬の命をつないで生きてきました

  次の巨大地震はいつどこに来るのでしょうか

 耳を澄ましましょう

  自分の心の声に

  もう二度と3・113月11日以前に戻ることはありません

  海にも空にも大地にも放射能は降り注ぎました

  私たちは涙を恐れません

  私たちが恐れるのは嘘です

  幻想の上に町を再建することです

  人々が被曝し続けることです

  声なき無実の命たちの未来が奪われていくことです

  私たちは変化を恐れません。

  恐れるのは悲劇を直視せず

  悲劇を生み出した社会に固執し続けることです

  私たちの中の原発に私たちは気づいています

  私たちはそれを乗り越えていきます。声をあげ続けます

  私たちは行動し続けます

  人間性への深い信頼を抱き連帯なくつながります

 目を凝らしましょう

  未来の世界に

  人々が放射能におびえることなく 被曝を強いられることもなく

  地球という自然に調和し

  つつましく豊かに暮らす世界に

  

ありがとうございました。

  PDFでご覧になりたい方はこちらへうのさえこさんのお話全文.pdf

  映像をご覧になりたい方は秋山理央さんのユーチューブをご覧ください


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「バイバイ原発3・8きょうと」に2500人(その1) [バイバイ原発京都]

3月8日、京都の円山公園と野外音楽堂で福島原発事故3年目を受けて「脱原発」を一人一人が行動しようと集会があった。今回は3回目となり福島事故告訴団や京都に避難している人の話と慶大教授金子 勝さんの話がメインとなった。参加した2500人は集会の後京都市役所までデモで繁華街を歩く人に「脱原発」をアピールした。デモの先頭↓

SFO_0594b.jpg

集会では主催者を代表して農業を営みながら脱原発活動を40年にわたって続ける佐伯昌和さんがSFO_0512.jpg

「原発ゼロが続いています。今それが当たり前になっているがゆえに福島からの距離に合わせた様に事故の風化が進んでいます。それを良いことに東電に事故の反省は全く見られず責任をとろうともしません。非常に悲しい現実が続いています。私たちは福島のみなさんの想いを共有し何ができるか考えたいと思います。政府は規制委員会にゲタを預ける形で再稼働をもくろんでいます。関電は高浜3・4号炉を再稼働させようと必死です。3号機はプルトウニュウムを使うプルサーマルが行われます。生きとし生けるものすべてを命の問題として再稼働を許してはなりません。選択肢はただ一つです。脱原発社会の早期の構築です。今日、明日そして16日全国で脱原発の集会が行われます。さらにこの輪を広げましょう。

地脇美和さん↓

SFO_0514.jpg 続いて福島原発告訴団の一人で子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの地脇美和さんが次のように話しました。(概略)

自家用車のガソリンはいつも満タン

 事故は全く終息していません。緊張状態が続いています。自家用車はいつもガソリンを満タンにしています。原発作業員は1日3000人で内7割が福島県民といわれています。多重派遣で作業員の線量管理、労働安全管理守られていない実態があります。汚染水がタンクから漏れています。地下水の濃度も上がっています。放射能測定のミスで過少に報告していました。測定も原因究明も東電任せです。原子力規制員会は再稼働審査にどっぷりつかっています。

子どもの甲状腺がんすでに74人

 今年2月福島の子どもたちの甲状腺がんは確定33人、疑い41人で合計74人になりました。通常100万人に一人といわれています。国・県・医大は検査機の性能向上で「たまたまみつかっただけ」と言い張り決して事故との関連性を認めません。もしそうだとしても、もしそうだとしたら全国での調査が必要なはずです。県民健康管理検討委員会の秘密会が「がん発生と原発事故の因果関係はない」と口裏を合わせるようシナリオを作りました。秘密会の存在自体を隠しました。県民には安全だからヨウ素剤を服用しなくていいと言っておきながら医大の医師、職員、家族、学生は服用しました。健康被害は甲状腺だけでなく子供も大人も様々な症状があらわれる可能性があります。支援法の理念に基ずいて予防原則にたった健康管理体制を実施すべきです。

新たな安全神話に巨額予算

政府は4月1日警戒区域の避難指示を解除します。再除染なしで個人に線量計配布して各自が線量管理をすること。学校を再開してバスで避難先から元の学校に通うことになりました。三春町にはIAEAが常駐する環境創造センターが建設されます。新たな放射能の安全教育の場になります。小学5・6年は必ずそこに訪問させることになっています。また帰還に向けた放射線リスクコミニュケーションというのを出してきました。草の根から放射能安全対策を広めそのリスクの名前のもとに新たな安全神話の確立に巨額の予算が投じられています。

被曝について一人一人を分断する政策

低線量被曝には健康被害のデータがないので大丈夫だと盛んに宣伝しています。しかし歴史を見れば明らかなように事故の実態と被害は過小評価され隠され嘘の情報が流され続けています。いつの間にか心配する人と心配しない人が対立させられものが言えない雰囲気がつくられました。

無責任体質は再び新たな被害をもたらす

5742人が原告団として東電や官僚を告訴しました。検察は強制捜査を行わず、福島から東京地検に案件を移送しその1時間後に不起訴を決めました。検察審議会に福島県民が入るのを恐れたからでしょう。県内の市町村長も憤りの声が上がりました。検事はまるで東電の顧問弁護士のようでした。

被害者だけが泣いて終わる無責任の日本史に終止符を打ちたいと思います。無責任体質はまた新たな被害をもたらします。今回の事故は私たちのあり方を問うています。課題は山積みですがまず原発をなくし山積みの課題を、今何をなすべきかを皆さんと一緒に考え行動しながら私たちが生き延びていく道を探っていきたいと思います。(文責堀内隆喜) 

↓黙とうする集会参加者

SFO_0506.jpg

次回に福島市から避難している宇野さえこさんのお話を掲載します。


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