にぎやかに「NO WAR&PEACE MUSIC FES」in左京 [安保法廃案]
戦争法を廃案に追い込むための力になればと企画されたのが「NO WAR&PEACE MUSIC FES」。FESの副題には「戦争できる国づくりは許さない!」と書かれてステージ正面にかかげられた。法律が違憲通過して3日後のことなので音楽フェスとしては一番早い取り組みかとも思われる。
室内の絨毯敷きの会場でのFESもユニークすぎた ↓
会場では連帯を込めて沖縄から泡盛や沖縄ビールも販売され ていました↓
主催は「戦争させない左京1000人委員会」の中から生まれたFES実行委員会。共催の「NO Base!沖縄につながる京都の会」の代表をしているミユージッシャン川口真由美さんがボランティア出演を呼びかけたところ最終13組がOK。当日は500円カンパでライブには投げ銭かごもおかれた。↓
演奏の合間には蒔田直子、米澤鐡志、守田守、クリスチーヌの皆さんがミニスピーチで廃案を訴えた。
FESはトップバッターに東京から駆け付けた中川五郎さんがつとめ、満月兄妹の演奏する中で客席も江州音頭を踊りながらのフィナーレとなった。トップで歌う中川五郎さん↓。
軽妙に会場をほぐすことを入れてかつ歌う長野たかし&森川あやこさん↓
韓国舞踊を披露する裵梨花 ぺイファ さん↓にはテイマールリッキーさんも同じステージで踊った
左からコージ野村・feet謎之闇子 、おもちゃ楽団、Joseph Wrightさん↓
左から秋人さん、ヒデヨヴィッチ上杉さん、砂布均さん ↓
ステージと言っても絨毯のひいてある平場でしたので音楽に合わせて踊る人が演奏者のそばに行って一緒に歓声や踊ることもしばしばあってその場を盛り上げていました。 コ-ジー野村さんの後方でエールの3人。
満月兄妹の演奏では客席がステージになって踊る踊る皆さん
会場がのりのりとなり満月兄妹の三線を弓で弾くシーンも出現した↓
そしてラストは「鳳凰道色」の皆さんと江州音頭。踊らにゃ損々!戦争する国許さんよ!憲法守れ!」
このMUSICフェスを今後あらゆるところでやれる機会をつくり楽しみながら「憲法守れ!」と訴えましょうと。その試金石としておおいに盛り上がった1日でした。最後の紹介はこの企画をまとめ上げた川口真由美さんです↓。川口さんは沖縄にいたかと思えば京都のキンカンで歌ったりとすごい馬力飛び回っている。
子どもが主役の原爆被ばくの話を聞く会 [脱原発 脱被曝]
違憲で無効の安保法。連休中にも多くの反対や廃案を求める動きがとまりませんでした。特に左京区在住の市民が発起人の「原発いらないコドモデモ」や「戦争をさせない左京1000人委員会」が新しい発信を行い注目されました。
「原発いらないコドモデモ」に参加しているママさんたちが企画したのは広島で11歳の時に被爆して、それ以降現在までその体験を語り続ける米澤鐡志さんを講師にしての「話を聞く会」。9月21日に51人の大人と56人の親が参加しました。 コドモ用の解説テキストが用意され、コドモの質問を受け付けるというもの。主役はコドモということになりますね。
米澤さんが話すときに使う地図↓
(1)原子爆弾のこと 僕は、爆発の真ん中から750メートル離れた、満員電車の中でお母さんと一緒に被爆(放射線に当 たって危険な目に合うこと)した。
広島に落とされた原子爆弾の名前はリトルボーイ(日本語で「小さな男の子」という意味)。その破壊力は、爆発の真ん中から半径2キロより内側の建物は全部焼けてなくなり、全部で4万8千ものたくさんの家が半径5キロまでの中でほとんど壊されて、その影響は7キロまで及んだ。20キロ離れた呉や宮島でもガラスが割れた。
(2)思い出すいろいろな場面 原爆にあってから家に着くまでに見た地獄のような景色とそれからの出来事
<電車の中でのようす> 割れたガラスが身体中に刺さる人
<熱線を浴びたひとのようす> 皮膚が一瞬にして焼きつくされ身体の中まで焼けてしまうほどの熱さ
- シャツの黒い点だけが焼けている
- 中学生の女の子たちのようす
- 水を求めて川へ入っていく人の様子
- 黒い雨のこと
- ケガをした人たちを助けるためのトラックがやってきたときのようす
- 駅で見たたくさんのケガをした人のようす
- お母さんと妹が死んだときのこと
(3)奇跡的に生き残った理由 戦争に負けた日次の日から、髪の毛が抜けて、40度を超える熱が出る。
- ギュウギュウづめのとても頑丈な鉄でできた満員電車の真ん中にいたから
- 8階建の福屋百貨店という大きな建物の陰になっていたから
- 原爆が落ちた後ふる黒い雨に当たらなかったから
- その日のうちに広島を離れたから
- 原爆が落ちたあとの汚れた水を飲まずに済んだから
- 回虫(お腹に住んでいる虫)を大量に吐いたから
子どもたちだけもったの「せんそうはいらない」の横断幕
子どもたちの質問は素直でした
「戦争のことを学校ではどう教えたのですか」「なぜ広島に原爆が落ちたのですか」「戦争を起こす原因はなんですか」と大人からはいまさら聞けないよという質問が飛び出しました。 皆さんならどう答えるでしょうか。なお、小学館発行で米澤さんは本を出しています。
安保・戦争法可決の日「沖縄」を浮かび上がらせた京都デモ [沖縄と京都の基地]
2015年9月19日午前2時17分という時間を記憶にとどめることから始まる安保2法の可決。9.19という数字が立憲主義を破壊する第一歩となった。その朝がやってきて京都市民が動いた。高校生のグループが、女性たちが、そして永年の運動を経験してきた沖縄。その沖縄から金城実(きんじょうみのる)さんを迎えての講演とデモなどが行われた。
京都の丹後半島先端に米軍のXバンドレーダー基地ができた。その建設発表の時から沖縄との連帯を模索してきた「No Base!沖縄とつながる京都の会」が「辺野古の海は埋め立てさせない」講演会と結成総会そして市内デモを行った。
講演 金城 実さん(沖縄靖国訴訟原告団長家・彫刻家) http://www.ustream.tv/recorded/73565431
デモの様子(左から3人目が金城さん)
京都の会代表の川口真由美さんが先頭で表示の旗を振って歩く
安倍ヤメロと沖縄のPOPやのぼりが揺れた
三線の大城敏信さん(右)が弾いて歌手でもある川口さんが歌うデモライブ
ついに登場した憲法を返せのPOPと歩き終えた金城さん
違憲で無効の安保法案採決・可決前の新たな意思表示デモ [安保法案]
強行採決を受け、本会議採決・可決にむけて国会が動いている中、9月18日夜に4夜連続4夜目の法案反対のデモが行われました。緊急に決まった「戦争立法NO!京都アクション」の呼びかけによるもの。初日から3日目までは小雨が降るなかだったけれどこの日はれた。
登場した「野党頑張れ」コール
デモには1500人が参加した。この日に強行採決 されて本会議に審議の場が変わったことで参加者も先を読める状態だった。そのため必然的に可決を遅らせるためには「野党頑張れ」という声をあげざるを得なかったのだ。さらには昨日あたりから大きくなった「賛成議員を忘れない」「落選議員を作ろう」といった今後の運動の方向性を示唆するコールも増えた。
「賛成議員は落選させよう」のゼッケンをつけてのデモの一団↑
さらに親子連れやアベックで手をつなぎながらの若いカップルも歩いた。特に小さな子をおんぶした母親と一緒の子どももプラカードを持っての参加。平日の夜に参加すること自体が大変だろう。しかし黙っていられない。この思いは全国共通の共有された意思だ。だから与党議員には大きなしっぺ返しが来るだろう。山本太郎議員が数珠を持って合掌して採決に臨んだが市民の想いを代弁するものだろう。
子どもと一緒に歩く参加者↑
解散地点が河原町四条下がるということもあって後ろのデモ中のみんなと手を振りながら、あるいは持っているプラカードを歩道から降るシーンも多かった。四条交差点はそういう意味でデモ隊に広い空間を作り出してくれるロケーションともなった。河原町の片道1車線デモがややもすると危険なだけにこの空間はなんともありがたい。
四条の交差点に差しかかるデモの皆さん↑
さらに増えた外国人観光客がカメラを向ける。このことは全世界に発信される可能性も大きく、政権の考えとは裏腹に生活者・庶民レベル ではつながっている可能性は否定できない。↓
デモの先頭。御池交差点はある程度その規模をとらえることができる↓
強行採決に抗議する男性やさまざまなプラカード↓
なお、15日からの参加者はトータルで平日しかも雨模様が続いたものの4300人となった。
強行採決に抗議することになった3夜目の市民デモ [安保法案]
戦争法案反対の4夜連続抗議デモ3日目。16時過ぎに強行採決された。この日も小雨の中市役所前には市民が次から次へとやってきた。前日までの様子と違うのは採決された現実。市民有志の呼びかけだけに街宣車はなく、トラメガのみの集会となった。後ろまで声は届かなかった。
雨の中の集会は話したい人が話すリレー式。秋山豊寛さんは福島での百姓から原発事故で避難してきた。ジャーナリストとして初めて宇宙に飛び立ったことでも知られている。「マスコミが、NHKがシナリオがあるごとく強行採決を「可決」と話し、書くのは許しがたい」と大手マスコミの今を批判した。
中高校生もマイクを握る(話の中身を聞けなかった)↓
デモの先頭はいつものように太鼓部隊が↓
市民のデモの様子あれこれ。市民の呼びかけに政党や労組員もそれぞれの幟などをもって参加する姿もあったが親子や楽器、思い思いのプラカード持参する姿も目立った。また、コーラーも集会で募集するという形となっていた。親子の参市民デモでは定着してきたのかもしれない。
若い人の参加も多かった
コーラーを志願した方もいて周りも心配そうに見つめた↓
キンカンにいつも楽器で参加しているメンバーも見かけた↓
組織の幕を持って参加した女性 ↓
キンカンでのビラまきを続けるこの方はデモの中から歩道に参加を呼び掛ける↓
なお、市民デモ4日目も18:30京都市役所前集合 19:00スタートで行われます(戦争立法反対!京都アクション主催)
安保法案反対4日連続デモ2日目は街が国会採決許さないへと [安保法案]
9月16日の夜京都市役所前には前日のサウンドデモとは違い勤め帰りのサラリーマンや労組員などの姿が多くなった。平日午後7時スタートという時間帯にふさわしいのかもしれない。集会が始まるころには雨も降りだしたものの「戦争させない京都1000人委員会」主催を取材してきた記者の目にもはみるみる人数が膨れ上がるのがわかった。
あっという間に参加者で市役所前広場が埋まった↑
デモ前の集会は歩道に主催者や参加者の横断幕、旗、幟などが並んだ。東京の国会前では警察車両がみずから車道と歩道の垣根にバリケードをつくり参加者を狭い空間に押し込めようとた。連日増える参加者から見れば安全のための規制が逆に危険なことは明らかで反発されるのは当然だろう。
車のライトが夜の集会を浮かび上がらせた↑
デモ主催者の先頭は全員が厳しい表情でスタートした↑
一方組織の幟が多い中個人の親子や楽器を持った人や市民デモのような参加者が増えた↓
一方手作り感満載の横断幕やのぼり、プラカードも登場した↓
四条河原町のマルイ前では京都弁護士会が10時から20時までの10時間、法案に反対する リレートークを開催中だった。述べ70人ほどのトークが小刻みに行えあれていた。そこへデモが南下してきたので連帯の手ふりなどが行われた。一気に中心部が法案反対の雰囲気が生まれた。また、参加者によると国会与党が強行採決を控えているせいか俄然街の人の気持ちそのものが与党への怒りとなりデモを励ますものに変わってきたと。
歩道で弁護士会のリレートーク 、車道をデモの京都市中心部(四条河原町)↓
左・連帯する歩道の弁護士、右・リレートークのフイナーレで歩道が埋まる↓
なお4日連続3日目は参院の採決が日程に上がっておりより多くの市民がフリーで参加できるように市民有志によるデモ企画があります。
15日から4日連続戦争法反対デモ始まる。初日サウンドデモ [安保法案]
4日連続の、京都市役所前で18:30から集会、19:00にデモスタートという戦争法案に反対する市民行動が始まりました。15日は若い中・高・大学生が先頭にたってのサウンドデモがありました。ラップのリズムにのって歩くスタイル。途中ではトラックの上からスピーチをするという形になっていました。この日には大学生4人がスピーチ。参加者は最終500人でした。緊迫する情勢の中市民の多数の参加で法案の参院通過を許さない声を続けることを訴えました。
スピーチヤーとラッパーとコーラーと
国会情勢をにらみながらの連日の京都行動となります。主な予定は次の通り
○16日(水)-京都市役所前:午後6時半集合・7時出発)(京都1000人委員会)
○17日(木)-京都市役所前:午後6時半集合・7時出発「国会前行動に連帯する京都市民デモ」(キンカン行動に参加する市民有志)
再び安保法案に反対の意思を5000人が訴え [安保法案]
9月13日の日曜日の午後京都市東山区の円山音楽堂に約5000人もの人があふれた。安保法案に反対する「戦争立法NO!京都アクション」の呼びかけで行われた。先月29日の京都弁護士会主催の時をも上回ろうという参加者だった。集会の圧巻はやはり参加者一同による「違憲」「廃案」のプラカードが掲げられた時だった。
集会の正式名称は「とめよう!戦争法 ~戦争反対 平和がだいすき~声をあげよう大集会」とかなり長い。8月4日現在で840人の呼びかけ人が集まった。さらにその一人一人がもう一人に呼びかけようという中からの集会となった。そのこともあってかステージに登壇したのは国会議員(福山哲郎、倉林明子参議院議員)や白浜京都弁護士会長といった 「権威」ある人3人と呼びかけに応じた市民個人と団体だったのが印象的だった。
今回も弁護士会は積極的で会長スピーチで参加弁護士が壇上に並んだ↓
会代表してスピーチの安保法制に反対するママの会@京都↓
ママの以外のスピーチは「自由と平和のための京大有志の会」「女たちのレッドアクション」「「戦争させない京都1000人委員会」のみなさんと個人では保育士の女性も話した。この個人の女性はこの後のデモでは弁護士会のメンバーと先頭の横断幕を持ってパレードした。
祇園から市役所前のデモコースが参加者でつながった
パレードと主催者は呼びかけていたがこれは間違いなく長い列のデモだった。記者は四条大橋から参加者個人、グループの撮影を続けた。先頭が解散して戻ってきた大橋で参加した知人に声をかけられた。まだ石段下を出るグループ・個人が途切れなかった。ちなみにデモコースは約1.8キロ。
先頭のグループの幕を弁護士会と保育士が持って↓
呼びかけ団体の一つ戦争させない京都1000人委員会↓
参加者には子どもやベビーカーも普通になってきた↓
ところどころでは太鼓たたきながら歩く人も↓
デモ帰りの参加者とと連帯するシーンも ↓
5500人が京都も地元だ~さよなら原発全国集会(1) [脱原発 脱被曝]
9月6日の午後小雨降る京都市下京区の梅小路公園広場に5500の「ストップ!!原発再稼働」のプラカードの傘が一斉にかかげられました。高浜・川内・伊方原発の再稼働を許させない!さよなら原発全国集会の一コマ。
集会は原子力発電に反対する福井県民会議、チェルブノイリ・フクシマ京都実行委員会、平和フォーラム関西ブロック、さおなら原発一千万人署名市民の会の呼びかけて開かれました。集会前には京都原発訴訟原告団や避難者からの訴えや永年脱原発ソングを歌ってきた古川 豪さんの歌も披露されました。
古川 豪さん
「原発に未来なし」を歌った古川さんは「分かち合われずに使い捨てられる富と、安全の保障もない便利の二つを天秤にかけるような選び方はまやかしだ」と38年前に作った歌を、今も歌わなければと思うのは複雑な気持ちです」。と当日の歌の動画を見てコメントしています。
木内みどりさん
本集会では司会を女優の木内みどりさんがつとめました。木内さんは福島事故以降一貫して脱原発の活動を続けています。芸能界では参議院議員となっている山本太郎さんとともに貴重な方でしょうか。また、司会中にも盛んに写真を撮りSNSなどで情報を発信しているようでした。
脱原発が多数派ということを忘れずに
主催者を代表してチェルノブイリ・フクシマ京都実行委員会世話人の佐伯唱和さんは「夏の電力がピークでも充分原発なしでもやっていけることを電力会社も認めざるをえなくなってきた」と前置きして「 6つのことを訴えたいと思います。
一つ「福島の原発事故は終わっていない。現在進行中です。子どもの甲状腺がん、その他の病気がこれから心配されます。放射線量が高いのに帰還させる。正しいのでしょうか」。 二つは「原発停止で高浜の内浦湾の生態系が戻ったのです。川内でもちりめん雑魚の漁獲量が増えています。再稼働は核のゴミを増やすだけです」。 三つ「何故京都でこの全国集会を開いたかです。それは福井県だけが地元ではありません。京都も滋賀も避難先の関西各地も地元です。再稼働同意の法制化が求められます。 四っめ「福井地裁の高浜差し止め仮処分決定を守ること」。五つ目「今日も滋賀県知事や京都市長も脱原発のメッセージを寄せられました。脱原発は多数派ということで自信をもって進めましょう」。 六つ目「来年電力の全面自由化が始まります。消費者が電力会社に直接脱原発を突きつけるときが来ます。勝ちましょう」。
高浜からの報告 免震塔もベントフィルターも無視されてる
高浜から4キロ在住。関電は8/17再稼働の点検に入りました。 福井地裁の仮処分で制御棒を抜くことができないということが川内と違うところでしょうか。しかし11月に予定通り稼働させるために早く裁判を終結させようと判決撤回をもくろんでいます。地元同意については議会は3・20に早々と同意しました。町長は避難に不備があるとしてどういはしていませんし、福井県議会・知事とも同意はしていません。
規制委員会は2月に新基準を満たしたとし合格としました。防潮堤、基準振動値の引き上げはクリアーしたと。ただ重要免震塔は今年9月に完成する予定でしたができていないし工事にも入っていません。もう一つはフイルターベントです。この計画案さえ示していません。もう一つは避難の問題です。30キロ圏内18万人の少なくとも10万人が参加するような避難訓練を実施すべきです。おの費用は50億円とも言われています。当然関電が負担すべきものです。
川内からの報告 2号機蒸気発生機はぼろぼろのまま10月再稼働
向原祥隆さん((ストップ再稼働!3.11鹿児島集会実行委員会事務局長)
8月11日川内原発1号機は再稼働してしまいました。私たちは指をくわえてみていたわけではありません。11日の5日前から現場で連続行動を行いました。9日には近くの久美崎海岸で集会を行いました。原発からタクシーで4000円の距離、猛暑の中2000人の人が頑張ってくれました。11日は6時から数百人が抗議行動を行いました。九電は社員の一人も車両の一台もゲートから入れませんでした。
みんな知っています。火山・地震・避難対策はなんにもできていない。さらには事故が起きなくてもひどいことが行われている。生態系の海は沈黙の海です。運転中ワカメ、ひじきなどは全滅しました。取水で稚魚などがいなくなっている。10月中旬に2号機を再稼働させようとしています。ぼろぼろの蒸気発生機です。2009年に交換を国に申請した。国も県も承諾しているのにいまだに変わっていません。私たちは闘っていかなければなりません。
伊方からの報告 9月8日差し止め訴訟13回目口頭弁論
松本修次さん(愛媛県平和運動センター議長) 超党派で2011年11月3日に「伊方原発を止める会」を結成しました。学習会、講演会、行政行動、国会院内集会などに取り組んできました。6月7日には2回目の「フクシマを繰り返すな 伊方原発再稼働やめろ」集会を、11月1日には3回目を行います。2011年12月8日には原告300名、弁護団147名で「伊方原発差し止め」を松山地裁に提訴しました。四国電力を被告とする民事訴訟です。12年3月28日には322名で第二次訴訟を提訴しています。5月29日には第1回の口頭弁論が始まりました。以降7月までに12回の口頭弁論が行われました。23人が意見陳述を行いました。14年12月には97,091筆の署名を裁判所に提出しています。7月15日規制委員会は伊方原発3号機は新基準に適合するとしました。1000億円の公共工事を進めた四国電力、電気料金に跳ね返ってきます。30キロ圏内には125,000人が生活しています。リスクはあるという規制委員会の委員長。事故があればどう避難したらいいのでしょうか。
↓雨の中報告を聞く参加者
報告の後 嘉田由紀子さん、鎌田 慧 さん、中尾はじめさんのスピーチと福島で強制避難を余儀なくされている古川好子さんなどが登壇しました。(2)にて紹介します。
写真・文責:京都フォトニュース 堀内隆喜
8・30国会前抗議に連動して京都で1000人デモ [安保法案]
8月30日の夕刻、今にも雨の降りそうな京都円山公園に人々の輪ができました。東京での安保法案に反対する抗議に京都でも連動しようと考えた個人個人でした。前日に京都弁護士会が5000人規模の集会とデモを行っていて京都は空白日となっていました。呼びかけたのは毎週金曜日にキンカン(関電京都支店前抗議行動)で原発再稼働反対に声を上げている数人の市民でした。
呼びかけ人の一人寺野哲也さんは「国会前で10万、全国で100万という行動に緊迫してきました。京都でもこれに連動しようと1週間前に呼びかけました。こうしてみると今までにないような人が集まっているように見えます。初めてのような気がします。私たちも全国の中の一人として、京都から全国に向けて全世界に向けて戦争は許さないんだという声を高らかに上げましょう」と話しました。
↑リレートークの様子
ついで参加者が次々にリレー形式でスピーチしました。これは市民たち主催では当たり前の形になっていて「話したい人」「お知らせしたい人」「反論したい人」のフリートークともいえます。この日は8人がマイクを握りました。なんとそのうち7人が女性でした。
「息子からメールがあって、今国会前に来てる」というのでうれしくなって西京の友人にメールしたら「うちの娘も行ってる」という返事。「改札から出れへん」というてるとのことでした。ここで静岡の友人を見つけました。こうしてみると全国で声を上げているのがわかります。2~3本のメールでわかってほんとに嬉しいです。(女性)
「特定秘密保護法の時から89歳を超える難病の姑がいつも「私の分も頑張ってきてや」と送り出してくれます。 もちろん嫁姑のことはありますが。今日ここにいる一人一人の皆さんが今日来たくてもこれ無い方、身体の不自由な方や忙しい方の思いを背負ってると思います。頑張りましょう」(女性)
「日系アメリカ人の研究をしています。アメリカ憲法はでは生命とか身体の自由と人権は守られています。しかしいざ戦争になると強制収容所に日系の人は入れられました。日系人はあまり大事にされていないから憲法を「ちょっと曲げて大丈夫」これでアメリカの自由は侵害されないんだだということになりました。それが戦争の時には起こるんです。「政府に都合の悪い人だから」ということで憲法が機能していてもちょっとした差別が生まれました。戦争である程度の制限は起こり得ます。そのためにもこういったことをもっと検討しないといけません。ましてや今の安保法案は歯止めとか人権への配慮が足らない。そういうとき憲法が曲げられるのでみんなで考えなければいけません」。(女性)
(以上文責 京都フォトニュース 堀内隆喜)
↑太鼓を先頭に円山公園を出る参加者
キンカンメンバーの呼び掛けの緊急デモは原発事故以降数回行われいますがお知らせを始めて1週間で出発時点で750人ほどに膨れ上がりました。 いつものように太鼓部隊を先頭にしてのにぎやかなスタイルです。先頭が花見小路あたりに到着した時にまだ公園内に最後尾がいるという状況になりました。先頭が出てもすでに公園出口あたりで合流する人がかなりいたようです。
↑第2グループの先頭
市民デモの人数が警察への申請300人から膨れ上がったこともあってか 交通規制されてすべての人が同じグループで歩くということはできなくなりました。規制に合わせてこの日は4つほどのグループに分断してしまいました。そのうち第二グループのアピールはユニークで「戦車より三輪車、鉄砲より水鉄砲、戦場より公園」などとのコールが響きました。
↑脱原発の担い手の象徴ともいえる槌田先生も参加していました
キンカンに毎週休みなく顔を見せる使い捨て時代を考える会の槌田さんが第一グループにいました。槌田さんは反原発の象徴的な人なのです。安保法案に反対する集会やデモにも必ず参加されていて、手を振りながら市民に呼びかけていました。まさに行動する学者ということでしょうか。
↑後方でプラカードで鼓舞する青年
デモには途中多くの人をが入ってきました。後方を歩いていた人によると10人なだれ込むように加わったという話も出ていました。記者も河原町から後方をなるべく歩きましたが確かに一人また一人と参加する人がいました。それだけ「8・30行動」という大きな組織でもない呼びかけに応じる人が多かったということになります。
↓デモを鼓舞した先頭グループ