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子どもが主役の原爆被ばくの話を聞く会 [脱原発 脱被曝]

 違憲で無効の安保法。連休中にも多くの反対や廃案を求める動きがとまりませんでした。特に左京区在住の市民が発起人の「原発いらないコドモデモ」や「戦争をさせない左京1000人委員会」が新しい発信を行い注目されました。

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「原発いらないコドモデモ」に参加しているママさんたちが企画したのは広島で11歳の時に被爆して、それ以降現在までその体験を語り続ける米澤鐡志さんを講師にしての「話を聞く会」。9月21日に51人の大人と56人の親が参加しました。 コドモ用の解説テキストが用意され、コドモの質問を受け付けるというもの。主役はコドモということになりますね。

米澤さんが話すときに使う地図↓ 

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子ども用テキストには話すレジメがまとめられて↓

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米澤さんの伝えたい、3つのこと (テキストレジメから)

(1)原子爆弾のこと  僕は、爆発の真ん中から750メートル離れた、満員電車の中でお母さんと一緒に被爆(放射線に当 たって危険な目に合うこと)した。

  広島に落とされた原子爆弾の名前はリトルボーイ(日本語で「小さな男の子」という意味)。その破壊力は、爆発の真ん中から半径2キロより内側の建物は全部焼けてなくなり、全部で4万8千ものたくさんの家が半径5キロまでの中でほとんど壊されて、その影響は7キロまで及んだ。20キロ離れた呉や宮島でもガラスが割れた。

(2)思い出すいろいろな場面  原爆にあってから家に着くまでに見た地獄のような景色とそれからの出来事

   <電車の中でのようす> 割れたガラスが身体中に刺さる人

   <熱線を浴びたひとのようす> 皮膚が一瞬にして焼きつくされ身体の中まで焼けてしまうほどの熱さ

 

  • シャツの黒い点だけが焼けている
  • 中学生の女の子たちのようす
  • 水を求めて川へ入っていく人の様子
  • 黒い雨のこと
  • ケガをした人たちを助けるためのトラックがやってきたときのようす
  • 駅で見たたくさんのケガをした人のようす
  • お母さんと妹が死んだときのこと

 

(3)奇跡的に生き残った理由  戦争に負けた日次の日から、髪の毛が抜けて、40度を超える熱が出る。

 

  1. ギュウギュウづめのとても頑丈な鉄でできた満員電車の真ん中にいたから
  2. 8階建の福屋百貨店という大きな建物の陰になっていたから
  3. 原爆が落ちた後ふる黒い雨に当たらなかったから
  4. その日のうちに広島を離れたから
  5. 原爆が落ちたあとの汚れた水を飲まずに済んだから
  6. 回虫(お腹に住んでいる虫)を大量に吐いたから

 

子どもたちだけもったの「せんそうはいらない」の横断幕  

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子どもたちの質問は素直でした 

「戦争のことを学校ではどう教えたのですか」「なぜ広島に原爆が落ちたのですか」「戦争を起こす原因はなんですか」と大人からはいまさら聞けないよという質問が飛び出しました。 皆さんならどう答えるでしょうか。なお、小学館発行で米澤さんは本を出しています。

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