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「カノンだより」から原発と被曝でつながる [つながる場]

2月15日に京都市中京区の堺町画廊で鎌仲ひとみ監督の新作映画「小さき声のカノン」の制作メルマガ「カマレポ」上映がありました。監督の講演会で出会った郡山、いわき、世田谷(東京)から避難移住してきた人たちが「チームカマレポ」という名前をつけて風化しつつある原発と被曝の問題を共有する「つながる場」を作りたいと開いたものです。(下写真は上映の様子)。さらに京都で脱原発デモを続ける4人のリレートークがあり、「自分がデモに参加したきっかけ」などや、デモに対する思いなどを話しました。

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いわき市から京都市北区の山間部に移住している今北・長瀬さん夫妻のいどう出張レストラン「SIVA RESTAURANT」からカレーライスの提供されました。今北さんは「3月12日に爆発した映像を自分が見たのに政府が爆発ではありません。直ちに健康に影響はありません」というのを聞いて初期避難したといいます。また会場となった堺町画廊さんには火鉢に炭火という暖房を一部取り入れていました。ただその火鉢には「灰に一部放射能が含まれています。吸い込まないようにしてください。セシウム137で原発由来ではないようです」と張り紙がありました。写真はベジカレー

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さて、カノンの上映が始まりました。今年公開予定映画の制作現場からの最新レポートを「カマレポ」として配信しているうちのNO1~NO3が映りました。

NO1には1986年のチェルノブイリ事故から26年後のベラルーシでの取材。事故後定期的に甲状腺の検診を受ける働く女性たちの受診現場の映像が印象的。そして医師への質問の中で放射能データが明かされている。いかに年数がたとうとも消えない病気の発生を解き明かす。

NO2は昨年の京都イオンモールでの写真家亀山ののこさんの出版記念「100人の母たち」の会場からの映像が飛び出してきた。企画した女性たちや撮影に応じた母たちの言葉が語られる。そして首相に送るべき「七夕メッセージ」の東京にやってきた100人の母たちへの脱原発と被曝を避けたい子どもを守る思いが語られていく。

NO3は事故現場のウクライナの爆発現地に飛んでいる。そこでは4号機の状況や敷地内の技術労働者へのインタビューを通して「人」が「人」であるために現地や政府がやらねばならないことが語られる。日本との違いが浮き上がってくる。

上映のためのメルマガお試し版をユチューブでご覧ください。こちら↓

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=romLQiS4q0M

上映後車座でのトークタイムが始まりました。いわき市から避難してきた今北さんは「一番困ったのは車の燃料でした。地震から原発事故まで自分の住んでるところは生活インフラは大丈夫でした。電気もOKだったので事故を知りえました。しかし海側は津波に右往左往していましたので原発事故は放射能が見えないこともあって逃げるという感覚は多くの人に少なかったようでした」と話しました。(↓車座トークと会場の様子)

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さらに今のいわき市の状況は「避難した人が2000人に対して、避難してきた人が20000人。避難してきた人にはお金が出ているのでもとの住民との確執が生まれています。避難したくて住むことになったわけでもないのですがお金が絡むとこうなるんですね。」と締めくくりました。

脱原発デモに参加し続けている人5人がリレートークを始めました。この日も展示されていた「キンカンバッジ」や「脱原発ステッカー」の制作にかかわった堀林さんは次のように語りだしました。

「地震は後で気がついたんですが実は仕事中目が回ったんでそれが地震だったようです。どうも原発の状態が悪いという情報が流れていました。いきなり爆発映像が流れだしてヤバイと思いました。もんじゅの事故で原発は怪しいというのが疑問の始まりでした。政府は責任を負わずにきている。結局原発そのものが詐欺だということにたどり着いたんです。全部だましなんだと」。「それで黙ってるのも嫌なのでどこかで鬱憤晴らしをしたかった。デモを探してるうちにキンカンにたどり着きました。ミニチュアの制作なども通してデモ仲間とのつながりもできて続けるしかないかなという気持ちです」

次いでこの日デモ写真を提供した竹内さんは

「浜岡原発の事故シュミレーションを雑誌で見たことがあって、それと同じことが福島で起きた。シュミレーション以上のことが起きてしまった。これが原発への想いの始まりでした。それまでは日本の原発は安全だと思っていました。事故についてテレビとネットでは情報にえらい差がある。テレビは同じことを言い不誠実極まりないと思いました。このことに腹も立ちました。大飯原発再稼働反対をキンカンで言っていることを知って7月の頭くらいから行きだしました。道行く人に声で訴えて「なんでやってるのか」考えてほしいなという思いでした。そのうち写真を撮り友人がそれをブログで発表することになった。記録することも大切だということになったんです。参加者は怒りだけでなく楽しんでもいる。それが撮れたらなというのが続けていることにつながりました。金のある人の嫌がることを楽しみたいのですね」

↓写真左は堀林さんや竹内さんのバッジやアルバム。右は楽しむデモの写真展示。

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次いでトークに参加した寺野さんは

 3・11以前は何にもしてなかったんですが、事故そのものにも怒りましたがそれよりも政府が食品の安全基準の数値をあげたことに「殺される」という思いが強くなりました。それに怒りが込み上げてきて今に至っています。それでもデモに参加するというのは私には敷居が高かった。11年11月に「怒涛のドラムデモ」というのがあって参加しようと出かけたんです。それでも一緒になれず三条大橋の上から見送ったくらいでした。細野大臣ががれき焼却説明で京都駅に来たときにとんでもないと駆け付けたのがデモデビューになります。福井市でのデモにいった時防護服の人がいた。これはいけると思ったのがその恰好をしだしたきっかけでした。ネットで売っていたので買いました。キンカンが始まってたのでそこがデビューでした。僕にとってはデモは社会を変えたいということと、社会によって変えられたくないということもあるんですね。デモが無かったら今の「原発ゼロ」ということができていたかどうか。目に見える形のデモだからこその成果だと思うので継続しないといけませんね。

↓写真は11年11月27日の「怒涛のドラムデモ」(左)、右は細野大臣の京都駅での説明会の様子(2012年3月31日)

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4人目の布川さんがパソコン片手にどういうデモに参加しているかやデモ動画などを映像を交えながら話しました。「2011年4月の大阪のデモに参加して以来続いています。ただ、今は脱原発だけでなく沖縄問題や京丹後のアメリカ軍レーダー基地建設反対、秘密保護法の反対・廃案のデモにと間口が増えています。さらにはレイシストに対するカウンター活動も多くなっています。去年からは自分たちがデモの企画をして実行することも始めました。脱原発デモがきっかけになって「金とるなデモ」というのもやってきました。若い人が参加しています。消費税、学費、奨学金、生活保護についてもテーマにしたデモをしてきました」と話しました。

↓写真は左が2013年5月5日の「金のないやつからとるのやめなはれ」デモ、右は2014年1月26日の秘密保護法反対デモでドラムを引きながらの訴え

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終わり近く最近のデモに対する市民の反応についても意見交換された。そしてカレーを提供した長瀬さんは「お国のやることは間違いがないという中で育ってきました。デモはしたことはありませんでした。原発反対のデモに参加してみてデモはいいんだ。やってる人は普通の人なんだと思いました。参加しようと思います」と話しました。


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