「バイバイ原発3・11きょうと」に2500人 [脱原発 脱被曝]
3月11日の午後京都市円山音楽堂で「バイバイ原発3・11きょうと」が2500人が参加して開かれました。今年は3月15日の原発賠償京都訴訟の判決前ということで原告団の皆さんが登壇してその思いを一人一人が語りかけたのが特徴となりました。さらに避難者の管野みずえさんも登壇して「京都も今原発事故を受ける。皆さんは3・11を生きているのです。デモしたから安堵せず一歩踏み出しましょう」とあってはならない事故への懸念を訴え、止めるために動くことを訴えました。また民謡を中心にした持ち歌を羊歯明神の3人が歌い上げ会場を盛り上げました。
管野みずえ さん
羊歯明神(しだみょうじん)の他の写真と観客
この後四条・河原町経由で市役所前までデモに移り「再稼働反対」と歩行者に呼びかけました。今年は4か国語のプラカードも用意されて増えた観光客にも呼びかけました。 また、この3月15日に京都地裁で原発賠償京都訴訟の判決があり、原告・弁護団の田辺事務局長が「自主避難者だけの賠償判決は全国で初めてなので是非9時25分からの傍聴券抽選においでください。」と話しました
田辺弁護士事務局長の話(概略)
自主避難者に対しては24年8月までに援助が終わります。そして政府は被害者に対して安全であるかどうかを一度も説明したことがありません。今ここにいる皆さんは年間1ミリシーベルトを基準として放射能から守られています。被曝地でこの基準を超える年間20シーベルトが基準となっているのはなぜか。にきちんと説明したことがありません。法律家の私が訴訟を通じて納得ある説明も受けていません。
事故のあった平成23年12月の低線量に関する被曝のリスク管理のワーキンググループの「放射線による発がんのリスクは100ミリシーベルト以下の被ばくでは他の要因の被爆の発がんに隠れてしまうほど小さい。」としたことにお墨付きを得たとしています。しかし20ミリシーベルトという基準で帰してしまうとわずか数年で100ミリしーべるとシーベルトを超えてしまう。
滞在して被曝している人たちと避難している人たちとの間で分断ともいえる認識の違いが生じてしまっています。国や東電が責任ある説明をしてこなかった結果、避難している人たちが被曝リスクを口にすることが風評被害だと思っている人たちがいます。あるいは被曝を受け入れて生活することを肯定することが被災地に寄り添っていると口にする人も出てきました。
事故のことを忘れてしまったとしたら、幼い命に責任を負っているとしたらどうなるでしょうか。被災地の方はリスクを受け入れているわけではないと思います。国を信じてとどまっているのではないかと思います。どうしょうもないから一人の市民に何ができるというのでしょう。すべてを放り出して逃げることは普通にはできないわけです。こういう中でさらにここにきて自主避難者には一切賠償をしないと公言しています。
避難した人は重い決断を誰に頼ることなくたった一人で成し遂げてきました。京都の私たちはその方たちに今こそ寄り添うべきだとおもいます。7年たってすべてがここに向かって(*自主避難者への援助などを打ち切ること)許容する空気が蔓延する今だからこそ、政府はとどまっている人には誠意ある説明をすること、汚染された地域で住むための支援を誠実にすることを願っています。避難者自身は故郷を離れている選択を認めて欲しいと心から望んでいます。
3月15日自主避難者だけの初めての損害賠償の判決が行われます。裁判にどうぞご注目ください。
(文責:京都フォトニュース)
原発賠償京都訴訟原告の皆さんの動画:https://www.facebook.com/sakyokyoto/videos/1627212257366728/
弁護団事務局長挨拶動画:https://www.facebook.com/KFNnews/videos/2066622113613115/
以下デモの様子
集会とデモで使われたプラカード