「原発依存の関電は会社をつぶす」と訴え [脱原発 脱被曝]
使い捨て時代を考える会の2013年3月11日の福島原発事故から続いている毎月11の市民行動が10月も行われた。この日は関電京都支店前と向かいの京都駅西側路上に多くの市民が「脱原発」を訴えた。稼働していない中で明らかになった高いコストの原発維持費。この点を中部電力と比較しながら市民は訴えた。
「原発依存は会社をつぶす」と訴える市民↓
関電は株主総会で大株主でもある大阪市や京都市などが脱原発への経営を転換を迫っているにもかかわらず拒否してきた。そして電力自由化の中で大きな自治体は関電からの電気を拒否した流れも出来上がってきた。原発依存維持費が高コストでなぜそこまでしがみつくのか。中部電力はLNG火力をメインに舵をきり黒字化に成功している。値上げが行われば当面会社は倒産しないという感覚にも批判があっまっている。
電力小売自由化が来年春から始まる
11日の1週間前の4日に使い捨て時代を考える会 などがメンバーでもある「電気料金値上げに反対し、だから脱原発を求める市民連絡会」が主催した意見交換と学習の場が設けられた。朴勝俊関学教授が「再稼働と経済&電気料金のホンマの話」と題した講演で「電気料金自由化で電気料金は下がるのか」について「原則として総括原価方式はなくなる。料金は市場で決まるので実際はやってみないとわからない面もある。しかし発電所が減ると価格は上がり、新規参入や発電所が増えれば下がる傾向となる。この中で再生可能エネルギーがが増えると価格は下がる。ただし優先接続・供給が前提となる。そのためにも小売りでは再エネを買う人が増えることも大切」と話した。電気権力からの束縛から離れるためにも公平な自由化が必要とも話した。
講演するする朴教授↑
朴教授は自由化とともに「節電所」(ネガワット)という発想の転換も重要と持論を展開した。節電100キロWは100キロWの発電に相当する 。節電する事業所などは対価を支払って機器の停止・休業を、スマートメーターで家庭などは需要ピーク時に供給を止める。こうしてアメリカでは原発50基分の節電所が存在する。関電が原発依存による維持費経費をこの節電所という方式経営に転換するだけでもコスト高を克服できそうだ。
朴教授の講演レジメPDFはこちら再稼働と料金値上げ.pdf
意見交換会のパネリストたち↓
講演会の後意見交換会が行われ朴教授の他に井坂京都市議が「関西広域 連合の脱原発への取り組みの様子」、槌田使い捨て時代を考える会顧問が「共生する気持ちを持ち実践することでの原発依存脱却」、アイリーンスミスさんが「意見の広範な広がりへの取り組みを」などと話した。
11日の市民行動の後通常は行ってこなかったデモも80人が参加した。SNSなどでは市民の受けがよかったという意見が多くを占めていた。
電気自由化のために市民がやることとは [脱原発 脱被曝]
10月3日と4日に来春スタートの「電力自由化」に対する学習会が京都市内で開かれた。その中から見えてきたのは本来再生可能エネルギーを市民が選んで脱原発へと向かうシステムのはずが「原発ありき」の政府によって公正な選択が不可能になるのではという危惧が生まれてきたということになる。
3日に左京区の「かぜのね」で開かれたのは気候ネットワーク の豊田洋介研究員による「電力自由化ってなに?~私たちの選択と電力システム改革」というもの。
豊田さんは「日本の電力事業の実態」「 日本電力システムの特徴」「電力事業の実態」と話を進めた。ついで参加者に白紙の上に「家のコンセントの向こう側を絵に描いてください」というテーマを投げた。参加者がグループで絵描きをしたが5つのグループに差異はほとんどなかった。書いた意味合いは「発電」「送電」「配電」のイメージを持つことで自由化の具体性を見せようとしたことだった。
ついで「電力自由化と発送電分離 」については「電気を買う電力会社を選ぶことができる」「電気を売るために一定のルールを使うようにできる」ことに理解を求めていた。そして来春4月からは「電力小売」が始まることがどういううことかと話に移った。「この小売にこそ市民が選べる基本がある。例えば再生エネルギーを買いたい人が多ければ多いほど原発などの電気は少なくなることで脱原発の方向性が見えてくるのでは」ということだろうか。このことが2020年実施予定の「発送電分離」に公正なルール(所有権の適正な分離など)が適用されればの前提が求められるのではと。
豊田さんのレジメ 電力自由化とは.pdf
豊田さんは自由化には大いなる情報公開が行われないといけないとも話した。例えば「原発の電気を買いたくない」人が多くいても「安くて買える原発の電気」(安全神話によるリスク無視算出)という 魅力に多くの人が引き寄せられる可能性は否定できない。そのためにもこの小売自由化に再生可能エネルギーを買いたいという市民を一人でも増やす。そのために情報を拡散して申し込むことに尽きる。これをパワーシフト宣言と呼んでいる。そのホームページはこちら。
にぎやかに「NO WAR&PEACE MUSIC FES」in左京 [安保法廃案]
戦争法を廃案に追い込むための力になればと企画されたのが「NO WAR&PEACE MUSIC FES」。FESの副題には「戦争できる国づくりは許さない!」と書かれてステージ正面にかかげられた。法律が違憲通過して3日後のことなので音楽フェスとしては一番早い取り組みかとも思われる。
室内の絨毯敷きの会場でのFESもユニークすぎた ↓
会場では連帯を込めて沖縄から泡盛や沖縄ビールも販売され ていました↓
主催は「戦争させない左京1000人委員会」の中から生まれたFES実行委員会。共催の「NO Base!沖縄につながる京都の会」の代表をしているミユージッシャン川口真由美さんがボランティア出演を呼びかけたところ最終13組がOK。当日は500円カンパでライブには投げ銭かごもおかれた。↓
演奏の合間には蒔田直子、米澤鐡志、守田守、クリスチーヌの皆さんがミニスピーチで廃案を訴えた。
FESはトップバッターに東京から駆け付けた中川五郎さんがつとめ、満月兄妹の演奏する中で客席も江州音頭を踊りながらのフィナーレとなった。トップで歌う中川五郎さん↓。
軽妙に会場をほぐすことを入れてかつ歌う長野たかし&森川あやこさん↓
韓国舞踊を披露する裵梨花 ぺイファ さん↓にはテイマールリッキーさんも同じステージで踊った
左からコージ野村・feet謎之闇子 、おもちゃ楽団、Joseph Wrightさん↓
左から秋人さん、ヒデヨヴィッチ上杉さん、砂布均さん ↓
ステージと言っても絨毯のひいてある平場でしたので音楽に合わせて踊る人が演奏者のそばに行って一緒に歓声や踊ることもしばしばあってその場を盛り上げていました。 コ-ジー野村さんの後方でエールの3人。
満月兄妹の演奏では客席がステージになって踊る踊る皆さん
会場がのりのりとなり満月兄妹の三線を弓で弾くシーンも出現した↓
そしてラストは「鳳凰道色」の皆さんと江州音頭。踊らにゃ損々!戦争する国許さんよ!憲法守れ!」
このMUSICフェスを今後あらゆるところでやれる機会をつくり楽しみながら「憲法守れ!」と訴えましょうと。その試金石としておおいに盛り上がった1日でした。最後の紹介はこの企画をまとめ上げた川口真由美さんです↓。川口さんは沖縄にいたかと思えば京都のキンカンで歌ったりとすごい馬力飛び回っている。
子どもが主役の原爆被ばくの話を聞く会 [脱原発 脱被曝]
違憲で無効の安保法。連休中にも多くの反対や廃案を求める動きがとまりませんでした。特に左京区在住の市民が発起人の「原発いらないコドモデモ」や「戦争をさせない左京1000人委員会」が新しい発信を行い注目されました。
「原発いらないコドモデモ」に参加しているママさんたちが企画したのは広島で11歳の時に被爆して、それ以降現在までその体験を語り続ける米澤鐡志さんを講師にしての「話を聞く会」。9月21日に51人の大人と56人の親が参加しました。 コドモ用の解説テキストが用意され、コドモの質問を受け付けるというもの。主役はコドモということになりますね。
米澤さんが話すときに使う地図↓
(1)原子爆弾のこと 僕は、爆発の真ん中から750メートル離れた、満員電車の中でお母さんと一緒に被爆(放射線に当 たって危険な目に合うこと)した。
広島に落とされた原子爆弾の名前はリトルボーイ(日本語で「小さな男の子」という意味)。その破壊力は、爆発の真ん中から半径2キロより内側の建物は全部焼けてなくなり、全部で4万8千ものたくさんの家が半径5キロまでの中でほとんど壊されて、その影響は7キロまで及んだ。20キロ離れた呉や宮島でもガラスが割れた。
(2)思い出すいろいろな場面 原爆にあってから家に着くまでに見た地獄のような景色とそれからの出来事
<電車の中でのようす> 割れたガラスが身体中に刺さる人
<熱線を浴びたひとのようす> 皮膚が一瞬にして焼きつくされ身体の中まで焼けてしまうほどの熱さ
- シャツの黒い点だけが焼けている
- 中学生の女の子たちのようす
- 水を求めて川へ入っていく人の様子
- 黒い雨のこと
- ケガをした人たちを助けるためのトラックがやってきたときのようす
- 駅で見たたくさんのケガをした人のようす
- お母さんと妹が死んだときのこと
(3)奇跡的に生き残った理由 戦争に負けた日次の日から、髪の毛が抜けて、40度を超える熱が出る。
- ギュウギュウづめのとても頑丈な鉄でできた満員電車の真ん中にいたから
- 8階建の福屋百貨店という大きな建物の陰になっていたから
- 原爆が落ちた後ふる黒い雨に当たらなかったから
- その日のうちに広島を離れたから
- 原爆が落ちたあとの汚れた水を飲まずに済んだから
- 回虫(お腹に住んでいる虫)を大量に吐いたから
子どもたちだけもったの「せんそうはいらない」の横断幕
子どもたちの質問は素直でした
「戦争のことを学校ではどう教えたのですか」「なぜ広島に原爆が落ちたのですか」「戦争を起こす原因はなんですか」と大人からはいまさら聞けないよという質問が飛び出しました。 皆さんならどう答えるでしょうか。なお、小学館発行で米澤さんは本を出しています。
安保・戦争法可決の日「沖縄」を浮かび上がらせた京都デモ [沖縄と京都の基地]
2015年9月19日午前2時17分という時間を記憶にとどめることから始まる安保2法の可決。9.19という数字が立憲主義を破壊する第一歩となった。その朝がやってきて京都市民が動いた。高校生のグループが、女性たちが、そして永年の運動を経験してきた沖縄。その沖縄から金城実(きんじょうみのる)さんを迎えての講演とデモなどが行われた。
京都の丹後半島先端に米軍のXバンドレーダー基地ができた。その建設発表の時から沖縄との連帯を模索してきた「No Base!沖縄とつながる京都の会」が「辺野古の海は埋め立てさせない」講演会と結成総会そして市内デモを行った。
講演 金城 実さん(沖縄靖国訴訟原告団長家・彫刻家) http://www.ustream.tv/recorded/73565431
デモの様子(左から3人目が金城さん)
京都の会代表の川口真由美さんが先頭で表示の旗を振って歩く
安倍ヤメロと沖縄のPOPやのぼりが揺れた
三線の大城敏信さん(右)が弾いて歌手でもある川口さんが歌うデモライブ
ついに登場した憲法を返せのPOPと歩き終えた金城さん
違憲で無効の安保法案採決・可決前の新たな意思表示デモ [安保法案]
強行採決を受け、本会議採決・可決にむけて国会が動いている中、9月18日夜に4夜連続4夜目の法案反対のデモが行われました。緊急に決まった「戦争立法NO!京都アクション」の呼びかけによるもの。初日から3日目までは小雨が降るなかだったけれどこの日はれた。
登場した「野党頑張れ」コール
デモには1500人が参加した。この日に強行採決 されて本会議に審議の場が変わったことで参加者も先を読める状態だった。そのため必然的に可決を遅らせるためには「野党頑張れ」という声をあげざるを得なかったのだ。さらには昨日あたりから大きくなった「賛成議員を忘れない」「落選議員を作ろう」といった今後の運動の方向性を示唆するコールも増えた。
「賛成議員は落選させよう」のゼッケンをつけてのデモの一団↑
さらに親子連れやアベックで手をつなぎながらの若いカップルも歩いた。特に小さな子をおんぶした母親と一緒の子どももプラカードを持っての参加。平日の夜に参加すること自体が大変だろう。しかし黙っていられない。この思いは全国共通の共有された意思だ。だから与党議員には大きなしっぺ返しが来るだろう。山本太郎議員が数珠を持って合掌して採決に臨んだが市民の想いを代弁するものだろう。
子どもと一緒に歩く参加者↑
解散地点が河原町四条下がるということもあって後ろのデモ中のみんなと手を振りながら、あるいは持っているプラカードを歩道から降るシーンも多かった。四条交差点はそういう意味でデモ隊に広い空間を作り出してくれるロケーションともなった。河原町の片道1車線デモがややもすると危険なだけにこの空間はなんともありがたい。
四条の交差点に差しかかるデモの皆さん↑
さらに増えた外国人観光客がカメラを向ける。このことは全世界に発信される可能性も大きく、政権の考えとは裏腹に生活者・庶民レベル ではつながっている可能性は否定できない。↓
デモの先頭。御池交差点はある程度その規模をとらえることができる↓
強行採決に抗議する男性やさまざまなプラカード↓
なお、15日からの参加者はトータルで平日しかも雨模様が続いたものの4300人となった。
強行採決に抗議することになった3夜目の市民デモ [安保法案]
戦争法案反対の4夜連続抗議デモ3日目。16時過ぎに強行採決された。この日も小雨の中市役所前には市民が次から次へとやってきた。前日までの様子と違うのは採決された現実。市民有志の呼びかけだけに街宣車はなく、トラメガのみの集会となった。後ろまで声は届かなかった。
雨の中の集会は話したい人が話すリレー式。秋山豊寛さんは福島での百姓から原発事故で避難してきた。ジャーナリストとして初めて宇宙に飛び立ったことでも知られている。「マスコミが、NHKがシナリオがあるごとく強行採決を「可決」と話し、書くのは許しがたい」と大手マスコミの今を批判した。
中高校生もマイクを握る(話の中身を聞けなかった)↓
デモの先頭はいつものように太鼓部隊が↓
市民のデモの様子あれこれ。市民の呼びかけに政党や労組員もそれぞれの幟などをもって参加する姿もあったが親子や楽器、思い思いのプラカード持参する姿も目立った。また、コーラーも集会で募集するという形となっていた。親子の参市民デモでは定着してきたのかもしれない。
若い人の参加も多かった
コーラーを志願した方もいて周りも心配そうに見つめた↓
キンカンにいつも楽器で参加しているメンバーも見かけた↓
組織の幕を持って参加した女性 ↓
キンカンでのビラまきを続けるこの方はデモの中から歩道に参加を呼び掛ける↓
なお、市民デモ4日目も18:30京都市役所前集合 19:00スタートで行われます(戦争立法反対!京都アクション主催)
安保法案反対4日連続デモ2日目は街が国会採決許さないへと [安保法案]
9月16日の夜京都市役所前には前日のサウンドデモとは違い勤め帰りのサラリーマンや労組員などの姿が多くなった。平日午後7時スタートという時間帯にふさわしいのかもしれない。集会が始まるころには雨も降りだしたものの「戦争させない京都1000人委員会」主催を取材してきた記者の目にもはみるみる人数が膨れ上がるのがわかった。
あっという間に参加者で市役所前広場が埋まった↑
デモ前の集会は歩道に主催者や参加者の横断幕、旗、幟などが並んだ。東京の国会前では警察車両がみずから車道と歩道の垣根にバリケードをつくり参加者を狭い空間に押し込めようとた。連日増える参加者から見れば安全のための規制が逆に危険なことは明らかで反発されるのは当然だろう。
車のライトが夜の集会を浮かび上がらせた↑
デモ主催者の先頭は全員が厳しい表情でスタートした↑
一方組織の幟が多い中個人の親子や楽器を持った人や市民デモのような参加者が増えた↓
一方手作り感満載の横断幕やのぼり、プラカードも登場した↓
四条河原町のマルイ前では京都弁護士会が10時から20時までの10時間、法案に反対する リレートークを開催中だった。述べ70人ほどのトークが小刻みに行えあれていた。そこへデモが南下してきたので連帯の手ふりなどが行われた。一気に中心部が法案反対の雰囲気が生まれた。また、参加者によると国会与党が強行採決を控えているせいか俄然街の人の気持ちそのものが与党への怒りとなりデモを励ますものに変わってきたと。
歩道で弁護士会のリレートーク 、車道をデモの京都市中心部(四条河原町)↓
左・連帯する歩道の弁護士、右・リレートークのフイナーレで歩道が埋まる↓
なお4日連続3日目は参院の採決が日程に上がっておりより多くの市民がフリーで参加できるように市民有志によるデモ企画があります。
15日から4日連続戦争法反対デモ始まる。初日サウンドデモ [安保法案]
4日連続の、京都市役所前で18:30から集会、19:00にデモスタートという戦争法案に反対する市民行動が始まりました。15日は若い中・高・大学生が先頭にたってのサウンドデモがありました。ラップのリズムにのって歩くスタイル。途中ではトラックの上からスピーチをするという形になっていました。この日には大学生4人がスピーチ。参加者は最終500人でした。緊迫する情勢の中市民の多数の参加で法案の参院通過を許さない声を続けることを訴えました。
スピーチヤーとラッパーとコーラーと
国会情勢をにらみながらの連日の京都行動となります。主な予定は次の通り
○16日(水)-京都市役所前:午後6時半集合・7時出発)(京都1000人委員会)
○17日(木)-京都市役所前:午後6時半集合・7時出発「国会前行動に連帯する京都市民デモ」(キンカン行動に参加する市民有志)
再び安保法案に反対の意思を5000人が訴え [安保法案]
9月13日の日曜日の午後京都市東山区の円山音楽堂に約5000人もの人があふれた。安保法案に反対する「戦争立法NO!京都アクション」の呼びかけで行われた。先月29日の京都弁護士会主催の時をも上回ろうという参加者だった。集会の圧巻はやはり参加者一同による「違憲」「廃案」のプラカードが掲げられた時だった。
集会の正式名称は「とめよう!戦争法 ~戦争反対 平和がだいすき~声をあげよう大集会」とかなり長い。8月4日現在で840人の呼びかけ人が集まった。さらにその一人一人がもう一人に呼びかけようという中からの集会となった。そのこともあってかステージに登壇したのは国会議員(福山哲郎、倉林明子参議院議員)や白浜京都弁護士会長といった 「権威」ある人3人と呼びかけに応じた市民個人と団体だったのが印象的だった。
今回も弁護士会は積極的で会長スピーチで参加弁護士が壇上に並んだ↓
会代表してスピーチの安保法制に反対するママの会@京都↓
ママの以外のスピーチは「自由と平和のための京大有志の会」「女たちのレッドアクション」「「戦争させない京都1000人委員会」のみなさんと個人では保育士の女性も話した。この個人の女性はこの後のデモでは弁護士会のメンバーと先頭の横断幕を持ってパレードした。
祇園から市役所前のデモコースが参加者でつながった
パレードと主催者は呼びかけていたがこれは間違いなく長い列のデモだった。記者は四条大橋から参加者個人、グループの撮影を続けた。先頭が解散して戻ってきた大橋で参加した知人に声をかけられた。まだ石段下を出るグループ・個人が途切れなかった。ちなみにデモコースは約1.8キロ。
先頭のグループの幕を弁護士会と保育士が持って↓
呼びかけ団体の一つ戦争させない京都1000人委員会↓
参加者には子どもやベビーカーも普通になってきた↓
ところどころでは太鼓たたきながら歩く人も↓
デモ帰りの参加者とと連帯するシーンも ↓